PEOPLE
元大牟田市長

古賀 その後に平野副大臣に対して「みんなでこれを要望しよう」と加藤さんから号令がきました。私も本省に行ったのですが、福岡市及び北九州市の商工会議所会頭をはじめ、経済界の著名な方たちが沢山お見えになっていた中、「古賀市長、話をして下さい」と突然言われ慌てましたが、かねがね思っていることをお話しました。三池港は当時、閉山対策の一環として三池港を発展させなければならないということで、大型船が入って来れるよう湾内を8メートルから10メートルに深堀したり拡張したり、岸壁の補修をしたり、クレーンを設置したりという計画が目白押しでしたが、これは文化財だとどれ一つ進みませんという話をしました。
加藤 世界遺産条約の作業指針としては、文化財保護法で価値を保全しようとは書いていないのです。それから、保全したい価値というのは、生きたままの現役の産業港である機能を保全し、ありのままを保全することなので、それを考えると港湾法の体系しかありませんでした。
古賀 あの時は色々な経済界の方、地元の偉い人、様々な顔ぶれでしたが、皆が一致して、加藤さんの提案を平野副大臣に説明出来たのは強かったですね。役所の中だけでは発想も出来なかったでしょうね。それから、古賀誠先生も最初は良い反応はなかったのですが、報告のたびに進展があるので最後の方は協力して頂きました。最後は、「分かった、話は付けておきます」と言ってもらえました。
加藤 有難いですね。そうやって皆が応援してくれて。古賀先生にも私は御説明にお伺いしましたが、非常に三池港に思い入れがある方で、直ぐに理解してくれました。地元のことを理解してくれる先生が応援してくれるのは嬉しい話ですね。
古賀 彼は運輸大臣を経験したことがありますからね。その時に、閉山になって、三池港の担当となり整備に携わりました。古賀先生は道路族でしたが、「道路の予算に比べたら、港の整備予算はわずかなものだ、少し予算をつければ、立派な港ができる」と言って下さいましたね。
加藤 そういうわけで、激動の日々が13年以上かかったのですが、その中で一番大切な突破口を切り開いて頂いたのは三池でした。一度、経済産業省から大牟田市に来た方がいましたが、知事会の方々とイギリスに行った際、稼働資産は削っていいのではないかという話が出ました。閣議決定で新しい枠組みでいくということになっていたにも関わらずです。その時に、コソン卿が頑張ってくれました。長崎重工を始め、稼働資産は全部必要だと言ってくれました。
古賀 イギリス視察の時は、日程が延期になっていたのですよね。その延期になった時期が丁度、議会や何かで忙しく私は行けませんでした。副市長が私の代わりに行ったのですが、彼からも事件があったとは聞いています(笑)
加藤 そう、事件があったのですよ。もう一度、文化財の枠組みに戻すというような話があの時点で出たのです。副官房長官が文化庁長官と組んで、もう一回ひっくり返しにかかったのですよ。それで、もし稼働資産を全部外していたら結局登録は出来なかったでしょう。そのくらい、文化庁は幕末だけで行きたかったのですよ。そんなこといったら、福岡は全部落ちますからね。
古賀 まぁ、そんなことになったら世界遺産にはならなかったでしょう。シリアル遺産にはなりえないですからね。その後に、菅官房長官に要望書を出しましたね。その時は、すでに港湾法の枠組みになっていましたからね。
加藤 一回、閣議決定しても、そのくらい大変だったということですね。そして、古賀さんがぶれなかったから登録出来たのですね。
古賀 私は三池港を世界遺産にしたかったから、日本コークス(株)や三池港物流(株)もそれ以外は考えていませんでしたから。それにしても、長崎県知事もあの時は頭が痛かったでしょうね。隠れキリシタンの方が賛成は多かったですからね。
加藤 協議会の時も、長崎県知事だけは「反対」されました。長崎は8つの構成資産があるにも関わらず、県議会、市議会、全員一致で反対でした。
古賀 ただ、補足意見を出しましたね。長崎は隠れキリシタンのほうをやって欲しいという意見がありましたと。それが要望書に記載されていますね。
加藤 本来ならば地元の全自治体が推薦することが絶対条件なのにも関わらず、それを飛び越えて行ったのは、安倍さんのお陰ですね。三菱に対し、長崎県や市からも降りてくれとの要望があったにもかかわらず、三菱は国がぶれなかったら大丈夫という方針ですと安倍さんに伝えると、なるほどと言って理解してくれました。安倍さんはその辺はすごかった。
古賀 国際会議もすごかったですね。4000人くらいが押し寄せ、ホテルオークラの大ホールが満杯でしたね。大牟田からもだいぶ行きましたよ。
加藤 あの時はありがとうございました。あそこで皆さんに全部意見を吐き出してもらいました。あれは、私にとっても大勝負でした。世界から色々な方をお呼びして、海外専門家にも視察してもらい、その歴史的価値を理解してもらい、一つの世論工作の根回しみたいなものですね。
古賀 安倍首相が来られるなんて誰も想像してなかったから、会場は大盛り上がりでしたね。
加藤 ああいうことが積み重なって、一緒に戦って、ここまでやれました。おこがましいですが、安倍さんは戦友みたいなものでした。ところで、今日は、有明沿岸道路から来たのですが、道路沿いにもっと世界遺産の標識が欲しいなぁと思いました。整備局にお願いする必要がありますね。有明沿岸道路は、佐賀の三重津海軍所跡からこちらに入れますし、佐賀空港からの方が三池はアクセスがいいのです。
古賀 世界遺産になった当時には、もっと看板があったのですがね。確かに有明沿岸道路のお陰で大牟田と佐賀は近くなりましたね。
加藤 歴史の爪痕、良い部分も悪い部分もそのまま残っているのが三池で、それが味わいの深い地域にしてますね。しかし、三井化学の列車がなくなったのが寂しい。三井の面影が薄れてきていますね。
古賀 三池鉄道の最後の線路がなくなりました。鉄道運搬はコスト高になりますから。それより、三池港をもっと使って欲しいですね。
本日は有難うございました。
前、佐野常民記念館(現、佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館)館長
軍艦島コンシェルジュ取締役統括マネージャー
軍艦島デジタルミュージアムプロデユーサー
世界遺産コンサルタント
明治日本の産業革命遺産世界遺産ルート推進協議会会長
一般財団法人産業遺産国民会議理事
(九州旅客鉄道株式会社 相談役)
一般財団法人産業遺産国民会議 代表理事
(公益財団法人資本市場振興財団 顧問)
ヘリテージ・モントリオール政策部長
ヘリテージ保全並びに世界遺産の専門家としてグローバルに活躍する国際コンサルタント
The Glasgow School of Art’s School of Simulation and Visualization、データ・アクイジション責任者