PEOPLE
「ICOMOS-TICCIH共同原則」の真価問われる"世界の実験場"~日本政府が推進する新たな保全へのチャレンジ~

ヘリテージ・モントリオール政策部長
建築と建築保存をモントリオール、ローマ、英国で学び、現在はモントリオール都市部の建築遺産と景観遺産の促進および開発を目的とする独立した市民組織、ヘリテージ・モントリオールの政策部長を務める。ユネスコ諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡協議会)の事務局長および国内委員会委員長を歴任、危機対策、保全理念、近代遺産に関する国際委員会の共同創設者であり、産業遺産の保全原則(ICOMOS-TICCIH 共同原則)の共同起草者である。 ユネスコとイコモスの被災地ミッションとしてドゥブロヴニク、バム、ハイチで調査を行った。イコモスおよび各国政府に専門家として助言を与えている。カナダ内外の遺産に貢献したことにより、カナダ勲章、ケベック勲章、モントリオール勲章を授与されている。
--ディヌ・ブンバルさんはカナダの世界遺産の専門家で、イコモス(ICOMOS=国際記念物遺跡会議)とティキ(TICCIH=国際産業遺産保存委員会)が定めた産業遺産保存の世界共通のルールである「ICOMOS-TICCIH共同原則」
(詳細は一般財団法人産業遺産国民会議HP=https://sangyoisankokuminkaigi.jimdo.com/世界遺産登録に向けて/icomos-ticcih共同原則/を参照)
を作成されたキーパーソンと伺っています。
はい、その通りです。「共同原則」はTICCIHの会長だった米国のパトリック・マーティン氏と私の共同作業でまとめたものです。きっかけは、私がイコモスの事務局長だった2003年にロシアで開催されたTICCIHの会議に招かれたことでした。その会議ではTICCIHにとって重要な意義を持つ「ニジニータギル憲章」が採択されたのですが、この時に主に欧州、カナダ、米国などから集まったティキの専門家たちの間で産業遺産の保存に関する新しい原則を作ることで合意し、マーティン氏と私が中心的役割を担うことになりました。
--この「共同原則」が正式に採択されたのはいつですか?
その後、イコモスでも合意が形成され、2011年にパリで開かれたイコモスの年次総会で正式に採択されました。ただ、その前年の10年にアイルランドのダブリンで開催されたアドバイザリー・コミッティーで同意することができたため、関係者の間では「ダブリン原則」と呼ばれています。
--いわば産業遺産保存のオーソリティーとも言えるブンバルさんが「明治日本の産業革命遺産」に関わるようになったのはいつからですか?
私は2つのルートからお声がけいただき、2009年からこのプロジェクトに参画することになりました。1つはイコモスの日本国内委員会の委員長である西村幸夫さんからのお誘い、もう1つは他の海外の専門家と同じように、私の同僚であるステュアート・スミス氏からのお誘いです。西村先生ら日本イコモスからは「私が協力することが本プロジェクトにとって大変重要である」というお言葉をいただきました。そこで、まず鹿児島で開催された会議に参加し、その後も多くの関連会議に参加してきました。
ですが、そもそものきっかけは2003年にさかのぼります。前述したロシアでのTICCHIの会議で、私は初めて英国のニール・コソン卿にお目にかかり、当時既に世界遺産登録を目指して動き出していた「明治日本の産業革命遺産」の関係者との間でこれからまとめる新しい産業遺産保存のルール、つまり後の「イコモス-ティキ共同原則」を活用する形で協力できるのではないかという話になったのです。
前、佐野常民記念館(現、佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館)館長
軍艦島コンシェルジュ取締役統括マネージャー
軍艦島デジタルミュージアムプロデユーサー
世界遺産コンサルタント
明治日本の産業革命遺産世界遺産ルート推進協議会会長
一般財団法人産業遺産国民会議理事
(九州旅客鉄道株式会社 相談役)
一般財団法人産業遺産国民会議 代表理事
(公益財団法人資本市場振興財団 顧問)
ヘリテージ・モントリオール政策部長
ヘリテージ保全並びに世界遺産の専門家としてグローバルに活躍する国際コンサルタント
The Glasgow School of Art’s School of Simulation and Visualization、データ・アクイジション責任者