PEOPLE
外に向かって発信する「新しい地元学」を確立したい ~「釜石の誇り」から「日本・世界の中の釜石の誇り」へ!~

岩手大学理工学部 准教授
1962年 仙台市生まれ
1991年 東北大学大学院工学研究科修了.工学博士.
同年 岩手大学工学部助手
1995年 同地域共同研究センター専任助教授をへて
現在 理工学部准教授
専門は流体工学.1995年頃から技術史研究を開始.
内閣官房「稼働資産を含む産業遺産に関する有識者会議」委員
文化庁「文化審議会」専門委員
日本機械学会「機械遺産委員会」委員長
釜石市立鉄の歴史館 名誉館長
小野寺英輝・岩手大学准教授は「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ世界文化遺産登録に際して、東北地方で唯一の構成資産である橋野鉄鉱山(岩手県釜石市)の価値を調査・検証し、登録実現につなげた功労者の一人。コロナ禍の最中で迎えた登録5周年の節目の今年、貴重な構成資産群のこれからの保存・継承・活用はどうあるべきか。小野寺先生が語ったキーワードは「新しい地元学」の確立と啓発である。
■地域の人たちにのしかかる負担をどう軽減するか
--今年(2020年)は世界遺産登録から5年目の節目の年になりますが、功労者のお一人である小野寺先生は今、どのような思いを持たれていますか?
小野寺 ひと言で言えば、あっという間でしたね。2015年7月のユネスコ世界遺産委員会の様子を私はずっとネット中継で見ていました。1日目、韓国の反対で予定通りには行かず、それでも2日目に議長がハンマーを振り下ろし、ようやく世界遺産リストへの記載が承認された。ハンマーを振り下ろすときの議長のほっとしたような顔とともに、私自身もホッとしたことをよく覚えています。
あれから5年経ち、東京・新宿に「産業遺産情報センター」もオープンし、私も先日、見学させていただきました。いろいろな課題があることは承知していますが、これでイコモス(国際記念物遺跡会議)から与えられていた“宿題”も果たし、一応の区切りが付いたのではないかなという感想を持っています。
写真:産業遺産情報センター
--地元・釜石での受け止め方はいかがですか?
小野寺 コロナ禍もあって私もここ1年くらいは釜石に足を運んだり、地元の方々と接したりする機会はあまりないのですが、5周年といっても目立ったことは少ないという印象です。地元メディアの扱いもそれほど大きくはなかったですし、率直に言うと、むしろ地元の方々は少し疲れている面がなきにしもあらず、という印象を持っています。
--というと、具体的にはどういうことでしょうか?
小野寺 橋野鉄鉱山がある場所は過疎地でして、地域の人々が頑張ってくれているのですが、どうしても地元の人たちに過重な負荷がかかってしまうんですね。もちろん釜石市も努力されていますし、手を上げてボランティアガイドをされている方もいらっしゃいますが、どうしても橋野地区の人たちに頼ってしまうところがある。今後釜石全体、ひいてはもっと広域で支え、活動を広げていく方策を探ることが大きな課題になると思います。
釜石の場合、他の構成資産からかなり離れて橋野鉄鉱山だけがポツンと登録されているので、23の構成資産がある「明治日本の産業革命遺産」全体のストーリーの中での釜石の位置付け、釜石が果たした役割という捉え方が十分に浸透していないように感じます。橋野鉄鉱山はこれだけで世界遺産なのではなく、あくまでも「明治日本の産業革命遺産」という世界遺産の1つの構成資産。どうも、そのあたりの理解がまだまだ足りない印象です。
写真:左上から順に、橋野鉄鉱山一番高炉跡、二番高炉跡、三番高炉跡
--その点に関連して、小野寺先生は釜石での「地元学」プロジェクトに主体的にかかわってこられましたね。まさにこれがキーワードがと思うのですが、改めて「地元学」とは何か、教えてください。
小野寺 自分が生まれ育ち、暮らす地域のことをもっとよく知る。それが「地元学」の基本です。過去を学び、知ることで、今の地域ができたことを実感できれば、誇りも生まれます。少子高齢化で子供たちが減っている中で難しくなっているのは確かですが、要するに「地域の宝」を再発見することです。
子供たちの学習活動で言えば、昔は地域の歴史などいろいろなことを発掘してきて、その成果を模造紙にまとめて発表する。そんな取り組みがどこの地域、学校でも行われていましたよね。地元の自治体でもわかっていなかったことを、子供たちが自分の足で地域を丹念に歩いて写真に撮って、埋もれていた事実を発見、発掘した。そんなビックリするようなことすらありました。ところが、今はもう人口が減り、大人たちは高齢化し、子供の数も減ってきて、地域全体にそんな余力がなくなっている。ですから、もっと別な形で「新しい地元学」を構築していかなければならないと考えています。
--何か具体的なアイデアはあるのでしょうか?
小野寺 例えば、子供たちに地域のことをもっとよく知ってもらい、地域のガイドをやれるようにする。地元のことを外に向かって発信し、伝えていく。これまでは模造紙にまとめて、地元の人たち向けに学習成果のような形で発表していただけでしたが、これをもっと県外に、全国に、さらには世界に向かって発信する起点とする。これが、これからの地元学だと思います。一例を挙げれば、宮城県の松島地区では地元の高校生たちが胸にボランティアガイドのバッジを付けて、休みの日などに観光客のガイドをやっています。そうしたシステムを創りあげているんです。このような活動を通じて、子供たちは地元の宝についてより深く知ることができる。さらには将来、地元を出て行った後でも、離れた場所で出身地の宝、誇りについて語り、発信していくことができるようになります。それがこれからの地元学の姿であり、釜石もそんな風になっていければいいなと思っています。
--従来は地域の中で完結していた、あるいは留まっていた活動をもっと外の世界に向けて広げていく。その過程では、知識がどんどん深まっていくというメリットもありそうですね。ただ、これはこれで大変なエネルギーが要りますね。
小野寺 確かに最初は大変かもしれませんが、基本的なものは既にあるわけで、うまく回り出せば、子供たちから次の子供たちへと世代間の継承もなされていくことにもなります。東日本大震災での津波被害を語り継いでいく「語り部」の活動と、同様なことだと思います。
軍艦島コンシェルジュ取締役統括マネージャー
軍艦島デジタルミュージアムプロデユーサー
世界遺産コンサルタント
明治日本の産業革命遺産世界遺産ルート推進協議会会長
一般財団法人産業遺産国民会議理事
(九州旅客鉄道株式会社 相談役)
一般財団法人産業遺産国民会議 代表理事
(公益財団法人資本市場振興財団 顧問)
ヘリテージ・モントリオール政策部長
ヘリテージ保全並びに世界遺産の専門家としてグローバルに活躍する国際コンサルタント
The Glasgow School of Art’s School of Simulation and Visualization、データ・アクイジション責任者