PEOPLE
八幡製鉄所は、今も世界最先端のものづくりを作り続ける現役製鉄所

一般財団法人産業遺産国民会議 理事
特定非営利活動法人 里山を考える会 理事
1958年愛知県(名古屋市)生まれ、北九州市在住
名古屋大学大学院工学部原子核工学科 修了
主な経歴:
1983年新日本製鐵㈱(現・日本製鉄㈱)入社
1988年より同社の宇宙テーマパーク「スペースワールド」プロジェクトに参画、以降一貫して北九州市八幡東田地区の都市開発事業など地域プロジェクト開発に携わる。
北九州市参与(非常勤)ならびに北九州市立大学院特任教授等を歴任、持続可能なまちづくり推進の一環として社会変革を促す地域プロジェクトを企画・プロデュース。
「情報の港」北九州e-PORT構想、エネルギー革命をもたらす東田コジェネ事業やスマートコミュニティ実証事業ならびに「明治日本の産業革命遺産」世界遺産登録など数々のプロジェクトを手掛け、現在に至る
役職等:
八幡東田まちづくり連絡協議会 会長
特定非営利活動法人 里山を考える会 理事
(株)エックス都市研究所 参与
一般財団法人 産業遺産国民会議 理事
稼働資産を構成資産にするためには規制改革が必要だった
加藤 長きに亘っておつきあいさせていただいていますが、綱岡さんと初めてお目にかかったのはいつだったのか・・・。
綱岡 私が担当部長になったのは2007年なので、その頃だと思います。まだ製鉄所の施設を世界遺産登録の暫定リストに入れていいですか?と、自治体が製鉄所に相談に来られていた頃でした。
加藤 すると2007年の12月に文化庁に再提案をした前後でしょうね。2008年の2月に福岡県の田川市でシンポジウムを行われた際には参加なさいましたか?
綱岡 ええ。でも当時は世界遺産になるのは神社仏閣とか富士山だという頭があったので、こんなものが世界遺産になるの? という新日鉄(現・日本製鉄)全体の驚きといいますか、素朴な疑問がありました。
加藤 こんなものというのは、工場がという意味ですね。
綱岡 ええ。次に世界遺産になるとして、工場は我々の生産資産なのに、重要文化財みたいな話で使えなくなってしまうのではないかという懸念があり、前例がないだけに答えようがないといった空気でした。
加藤 世界遺産は必ず文化庁が推薦するというのが大前提にあり、つまり構成資産は重要文化財、もしくは史跡に指定を受け、その権限はすべて文化庁が握ると。そうした中では、従来の生産活動を継続することは厳しくなりますし、ベンチ一つ置くのにも文化庁の判子が必要になるということで警戒をされたと思うのです。しかしその一方で、私は世界遺産の構成資産として残したいという強い情熱も感じたのですが。
綱岡 我々には官営八幡製鉄所が産業革命発祥の地の一つであるという自負があり、鉄の歴史を後世に残したいという意欲、それから若い世代にものづくりの魂のようなものを伝承していきたいという認識もありました。でも、そこにさまざまな制約がかかってくると難しいので、現時点で結論を言えと言われたらNOだというのが当初のスタンスだったのです。
加藤 でも規制改革委員会に文化財保護法の適応除外も含めて提案書を提出した時に、北九州の北橋健治市長が後押しをしてくださり、八幡製鉄のご担当者であった網岡さんに支えていただきました。それがなかったら戦い抜くことはできなかったと思います。
綱岡 我々も規制の枠組みを変えれば可能性はあるかもしれない、ということはわかっていましたので、そのためのコンセンサスを得れば世界遺産登録できるのではないか? と考え、社内で議論しました。本社は登録の意義は理解してくれましたが、現場を預かる製鉄所としては生産に支障が出るのは困ると慎重な構えでした。
加藤 本事務所だけで八幡の魅力を伝えられるのかという壁にぶちあたり、どうしたものかと頭を抱えていたところ、綱岡さんが稼働資産を挙げてくださいましたね。
綱岡 はい。修繕工場、鍛冶工場、遠賀川水源地ポンプ場ですね。
加藤 私は遠賀川水源地ポンプを訪れた時に、現場が抵抗を示しているのを知り、日鉄内でのコンセンサスが取れていないのかと。綱岡さんのご苦労を深く理解したのです。
綱岡 あの時点では自信を持って稼働資産を挙げていたわけではなかったので。ポンプの現場の人間にしてみたら、高炉と本事務所だけが資産対象になっていると思っていたのに寝耳に水だということだったのです。ポンプ室は20年単位で大きな改造工事が必要になるのですが、次の改造工事の時に、世界遺産に登録されたら、それができないことになったら大変だという危惧があり、とても応じられない、という雰囲気でした。
加藤 それはそうですよね。工業用水の大半を未だに八幡に供給しているのですから。その水がなかったら八幡は死んでしまう。多くの方の雇用がかかっているわけですから。
綱岡 最初は勉強会から始めたのですが、確かにかなりネガティブなところから入りましたね。でも先ほども触れたように根底では登録に意義を理解してくれていたので、普及啓蒙活動を続けていきました。そこで古写真をデジタル化するといった具合に資料を整理し、移転前の古い本社の一階で「釜石から八幡へ」という製鐵の歴史を振り返るパネル展を開催したり……。そうしているうちに神風も吹いたんです。
加藤 神風ですか?
綱岡 ポンプ室の敷地の中に監視施設や倉庫を新たに作るという国交省の事業が開始されました。ポンプ室の人間にとっては、そうしたことは絶対に許されないと思い込んでいたけれど、場所をずらすとか半地下にするといった工夫を行い協議を重ねた結果、機能を満足する施設整備ができたのです。
加藤 ヘリテージへの影響を考慮して設計変更したのでしたね。
綱岡 ええ。きちんと調査をしたうえで、記録をちゃんと取れば問題はないのだということを体感し、そこから次に設備の改造工事をする時にも、こういう協議をすればできるのだなという発想へとつながったという経緯がありました。
加藤 途中からポンプ室の方々が大応援団になってくださって。私は八幡製鉄所へ行くのが大好きで、現場で働いておられる様子を見ると誇らしい気持ちになるんですね。ですから彼らが喜んでくれて、みんなで作っていく世界遺産であるべきだと考えていたので、応援していただき非常に勇気づけられました。
綱岡 そうですね。私もとても嬉しかったです。
前、佐野常民記念館(現、佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館)館長
軍艦島コンシェルジュ取締役統括マネージャー
軍艦島デジタルミュージアムプロデユーサー
世界遺産コンサルタント
明治日本の産業革命遺産世界遺産ルート推進協議会会長
一般財団法人産業遺産国民会議理事
(九州旅客鉄道株式会社 相談役)
一般財団法人産業遺産国民会議 代表理事
(公益財団法人資本市場振興財団 顧問)
ヘリテージ・モントリオール政策部長
ヘリテージ保全並びに世界遺産の専門家としてグローバルに活躍する国際コンサルタント
The Glasgow School of Art’s School of Simulation and Visualization、データ・アクイジション責任者