プロフィール
昭和18年11月25日(満79歳)
昭和41年 早稲田大学政治経済学部 卒業
昭和41年 三井金属鉱業(株)本社 入社
平成元年 三井金属鉱業(株)三池事務所所長、調査役
平成3年~15年 大牟田市議会議員(3期)
平成15年~27年 大牟田市長(3期)
平成30年1月~ 「ありあけ為政塾」(政治塾)主宰。大牟田警察署協議会会長・大牟田中央ライオンズクラブ前会長
著書に「財政再建から市民協働のまちへ」(2016年 海鳥社)、「政治学・行政学の基礎知識」(2022年 私家版)、地方自治&選挙・講義」(2022年 私家版)等。
加藤:久しぶりにお目にかかれて本当に嬉しいです。初めて古賀さんにお会いしたのは市会議員の時だったかと思いますが、今日はその時からの経緯を含めてお話頂けたらと思います。
古賀:相変わらず、ご活躍の限りで嬉しく思います。私が市会議員をしていた1997年(平成9年)に三池炭鉱が閉山となり、その時、閉山対策特別委員長だったものですから、閉山への対応や閉山後の町づくりをどうするかと、国や県のご支援を頂きながら取り組んできた経緯があります。今までこのマチを形成してきた石炭産業とその関連企業には、私も個人的には思い入れがあり、当時から「三池港をはじめとする関連施設は残すべきである。そして閉山後のマチづくりに活用すべきだ」と思ってきました。そういう思いを平成11年(1999年)に地元新聞の日刊大牟田に10回に亘り、マチづくりと近代化産業遺産をテーマに連載をしてきましたし、議会の本会議で提案し賛同をも得てきました。
また、市長に就任致しました2003年(平成15年)には「市長と語るマチづくり市民懇談会」を毎年10回以上開催してきた他、小中学校への出前授業を毎年、5~6校にて実施し、この大牟田の三池炭鉱がマチを形成するのに大きな役割を果たしていること、大牟田の歴史を知ることが今後のマチづくりに役立つという思いを話してきました。当時は世界遺産になるとは思ってなかったのですが、機運の醸成を図ってきました。そのような時期に、加藤さんにお会いできたことは時の運ともいうべきですね。加藤さんの陣頭指揮のもとで、専門家や政治家、官僚の方々、そして多くの支援して下さる活動家の方々と取り組んできて、世界遺産を実現できた。私にとっては思いもしなかった幸せだと思っています。
加藤 最初にお目にかかった時は、私が産業遺産という本を出して間もない頃でした。その時にお祭りの法被をお召しになっていたのを覚えています。
古賀 7 月の大蛇山祭りですね。あの時は、商工会議所の会議室でお会いしましたが、「産業遺産を残しましょう!」というお話でしたが、海のものとも、山のものとも分からない時期でした。
加藤 そうですね、その後、三池を世界遺産にしようという動きに切り替わっていくわけですが、一番最初に九州知事会で、「世界遺産にしよう!」と聞いた時にはどう思われましたか?
古賀 その時は、近代産業遺産を後世に残さなければと思ってましたから、もちろん大賛成でした。ただ、世界遺産になるとは、正直言って信じてなかったですね。
加藤 賛否両論もありましたからね。その後、九州知事会の枠組みから協議会という8県11市の枠組みになるまで時間がかかりました。その過程で、沢山の構成資産の中から「三池を選ぼう!」となり、大牟田にはマイケル・ピアソンが視察に行きましたが、それから熱が入って本気になってきましたね。その時に、三池港が素晴らしいという話しが出ましたが、丁度その時に、三池港が重要港湾から外れてしまいましたよね。そんな時にシンポジウムを開催し、港湾の枠組みでこの三池港を世界遺産にするという話しに、会場は「え~っ!」という雰囲気でしたね。
古賀 文化会館が満杯でしたね。「世界遺産登録推進セミナー」というタイトルで2010年8月3日に、加藤さんに講演をして頂き、パネルディスカッションもやりましたね。その時に初めて、加藤さんの意気込みを感じました。私もパネラーの一人として議論に加わり、その時は質問も沢山出たのを覚えています。
加藤 当時、文化庁は閘門と船渠だけやりたいという話だったのですが、私は三池港の大切さはハミングバードの形状そのもので、三池港全体をやらないと意味が無いと思っていました。それをやるには、文化財ではなくて港湾の枠組みでやらなければならないと言っていましたら、みんな、驚いてました。通常は文化庁が史跡か重要文化財に指定して、それを推薦、登録するという流れです。そんな中、私の意見は風当たりが凄かったですね。8県11市全体で登録するというのにも風当たりが強かったし、こんな案に行政がお金をかけて大丈夫だろうかという雰囲気も強かったです。所管が文化庁なのに、規制改革をして文化庁以外の枠組みで稼働資産が世界遺産に登録できるように新しい枠組みを作るという私の考えに対し、こんな前例のないことに乗っていいのかというのが多くの人の反応でした。そんな中、規制改革の際には「三池港」で戦いましたから、三池港は規制改革の一丁目一番地なのです。それに大牟田市長に賛同頂いたことは凄いことでした
Vol.57
日本の未来のために今を生きる~明治日本の産業革命遺産の使命は「先人のスピリットを活かしていけば日本は救われる」という気づきと勇気を与えること
Vol.56
明治日本の産業遺産は日本の誇り~先人たちの歩みを知ることは日本の教育を見つめ直すことに通じる
フジサンケイグループ 代表
株式会社フジ・メディア・ホールディングス取締役相談役
株式会社フジテレビジョン 取締役相談役
Vol.55
世界遺産登録までの道のりは、山あり谷ありだった~人の縁という運に恵まれ、救われ、道を拓いて~
日本港湾空港建設協会連合会 顧問(元、一般財団法人 港湾空港総合技術センター理事長)
Vol.54
『侍が、カンパニーへ』という歴史的流れは日本の誇り~明治日本の産業遺産の中心的存在である長崎がリードして次世代へつなぐ
Vol.53
日本で初めて反射炉を作った佐賀藩、洋式海軍の拠点だった「三重津海軍所」~世界遺産登録に注いだ情熱を次世代に繋ぎたい。
前、佐野常民記念館(現、佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館)館長
Vol.52
八幡製鉄所は、今も世界最先端のものづくりを作り続ける現役製鉄所
一般財団法人産業遺産国民会議 理事
特定非営利活動法人 里山を考える会 理事
Vol.51
吉田松陰や幕末の志士たちの熱き想い、急速な産業化を通して日本を支えた優れた功績 ~ 松陰神社には明治維新に至る歴史をきちんと伝えていく使命がある
Vol.50
稼働資産「三池港」を世界遺産にする秘策とは。
Vol. 49
明治日本の産業遺産に関する保全マニュアルの重要性とは?
Vol.48
金属学の視点から紐解いて明らかになった産業史の真実~日本人の聡明さ、勤勉さ、不屈の精神を次世代へ伝えることが明治日本の産業革命遺産の使命~
Vol.47
明治日本の産業革命遺産は偉大な教材、覗けば見えてくる様々な世界
元新日本製鐵株式会社社員、世界遺産登録推進室産業プロジェクトチームメンバー
Vol.46
鹿児島から始まった鉄の歴史が日本の近代化を飛躍的に前進させた~薩摩人のバイタリティを、未来に生きる若い世代に引き継いでいきたい~
Vol.45
吉田松陰が工業教育論を説き、命がけで英国へ渡った長州ファイブを輩出~誇らしき萩スピリットを後進へとつなげるために~
Vol.44
三角西港を作った先人の知恵、技術、行動力を子供たちの代へと継承していきたい~コロナ後も続く未来を見据えて今できることに全力で取り組む~
Vol.43
官営八幡製鐵所は「1枚の古写真」から世界遺産になった!~元日鉄マンが明かす、"登録前夜"のとっておきのエピソード~
Vol.42
外に向かって発信する「新しい地元学」を確立したい ~「釜石の誇り」から「日本・世界の中の釜石の誇り」へ!~
Vol.41
観光ガイド歴18年、あふれ出る"三角西港愛"~世界遺産登録はゴールではなく、新たな出発点~
Vol.40
韮山反射炉とともに「刻」をきざむ~物産館&レストラン事業で"反射炉観光"の魅力度アップ~
株式会社蔵屋鳴沢 代表取締役社長
一般社団法人伊豆の国市観光協会会長
Vol.39
運命に導かれて軍艦島デジタルミュージアムを設立~明治日本の産業革命遺産の価値を広く深く伝えるために、自分にできることを始めて、続けて、やり切りたい~
軍艦島コンシェルジュ取締役統括マネージャー
軍艦島デジタルミュージアムプロデユーサー
Vol.38
産業遺産の主役は「人」~世界遺産登録を経て再認識した故郷の素晴らしさ~
Vol.37
すべては長崎の経済発展のために~海運業の枠を超え、長崎の文化や産業遺産の歴史を伝承~
Vol.36
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Vol.35
韮山反射炉とともに後世に伝えたい「850年の歴史資料」 ~待望の新・収蔵庫が完成、保存・修復・活用に弾み
Vol.34
不屈の開拓精神と先人のパワーで時代を切り拓いた歴史~後世へ受け継がれる希望と大きな力~
Vol.33
軍艦島は「地球と人類の未来への警告のメッセージ」~元島民ガイドが訴える想いと願い~
Vol.32
「シンクロニシティー」が生んだ世界遺産登録という奇跡~想いの強さが志ある人々の共感を呼び起こした!~
エム・アイ・コンサルティンググループ株式会社 代表取締役
Vol.31
日本の人達にパワーを~明治日本の産業革命遺産の使命~
渡辺プロダクショングループ代表・株式会社渡辺プロダクション名誉会長
Vol.30
産業遺産の歩みを"100年後を生きる人々"への希望に
Vol.29
"21世紀の薩摩ステューデント"よ、未来を創れ!~旧集成館は鹿児島観光の情報発信拠点~
Vol.28
各地域に着実に広がる「つながりあるストーリー」という意識~保全管理・インタープリテーションのあり方には課題も~
サラ・ジェーン・ブラジル(Sarah Jane Brazil)氏
Vol.27
《為せば成る為さねば成らぬ何事も》~人とつながるための勇気や行動力を~
特定非営利活動法人 九州・アジア経営塾 理事長兼塾長
株式会社SUMIDA 代表取締役
Vol.26
「日本人として、世界に対して誇りを持って発信できる世界遺産」〜内閣官房・有識者会議の流れを決したジャーナリストの視点〜
Vol.25
クラシックカーが「明治日本の産業革命遺産」を走る!~2019年、九州で「ラリーニッポン」を開催~
Vol.24
着々と進む"世界遺産周遊ルート"の整備・振興 ~推進協議会、多彩なプロモーションで世界に向けて魅力発信!~
明治日本の産業革命遺産世界遺産ルート推進協議会会長
一般財団法人産業遺産国民会議理事
(九州旅客鉄道株式会社 相談役)
Vol.23
「遺産観光」の振興に向けたルート整備にいっそうの力を~忘れ難い故郷・呉への空襲と広島原爆の記憶~
一般財団法人産業遺産国民会議 代表理事
(公益財団法人資本市場振興財団 顧問)
Vol.22
世界とつながる町~"長崎のたから"を"世界のたから"へ~
Vol.21
「ICOMOS-TICCIH共同原則」の真価問われる"世界の実験場"~日本政府が推進する新たな保全へのチャレンジ~
Vol.20
忘れ難いS・スミス氏との激論の日々 ~異文化の中で出会った"なじみ深い19世紀の産業遺産"~
Vol.19
歴史や文化を継承することは、次世代の技術革新を生み出す~"使いながら残す"に道を開いた「明治日本の産業革命遺産」~
Vol.18
シリアル登録方式の保全管理に新たな道を拓いた「明治日本の産業革命遺産」-- 今後の大きな課題は「記憶と理解を引き継ぐ人材研修」
ヘリテージ保全並びに世界遺産の専門家としてグローバルに活躍する国際コンサルタント
ダンカン・マーシャル(Duncan Marshall)氏
Vol.17
ジャイアント・カンチレバークレーンと小菅修船場跡の3Dデジタル・ドキュメンテーション
The Glasgow School of Art’s School of Simulation and Visualization、データ・アクイジション責任者
Vol.15
「スコティッシュ・テン プロジェクト」によるデジタル文書化
ヒストリック・スコットランド
スコティッシュ・テン プロジェクト・マネージャー
Vol.14
富士山と韮山反射炉、2つの世界遺産を一望できる茶畑の丘 --次の夢は「子どものためのミニ反射炉」で体験学習
Vol.13
登録までの道のりと資産の今後を見つめて
ロイヤル・カレッジ・オブ・アート副学長・評議会議長
イングランド・ウェールズにおけるカナル&リバートラスト遺産顧問
Vol.12
正確な情報発信の中で、歴史を見つめるきっかけに
Vol.11
「ものづくりの街・北九州」への愛着と誇り--"シビック・プライド"を呼び起こしてくれた世界文化遺産登録
Vol.10
世界遺産登録決定祝賀会レポート(@ドイツ・ボン)
2015年6月28日から7月8日まで、ドイツ・ボンにて第 39 回世界遺産委員会が開催され、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録が決定しました。
今回は、世界遺産登録決定祝賀会の様子をお伝えいたします。
Vol.9
使いながら保存する-「稼働遺産」の保存・活用に新たな道を拓く
阪神高速道路株式会社 取締役兼常務執行役員
(一般財団法人産業遺産国民会議 理事)
Vol.8
港湾法の体系で、世界遺産の保全を担保する
Vol.7
近代化を切り拓いた長州ファイブと試行錯誤の痕跡を残す萩の資産
Vol.6
日本の「ものづくり」「産業」の原点を伝える「明治日本の産業革命遺産」
Vol.5
日本の近代工業化を石炭産業によって支えた三池エリア
Vol.4
国家、社会のため、広い視野と使命感を持って試行錯誤しつつ挑戦し続けた「明治の産業革命」の意義
文部科学省 生涯学習政策局 生涯学習総括官
前 内閣官房 内閣参事官
Vol.3
「鉄は釜石から八幡へ」 近代製鉄発祥の地から誇り高き文化を伝える
Vol.2
強く豊かな国家を目指して 薩摩藩主島津斉彬が築いた『集成館』
一般財団法人産業遺産国民会議 理事
島津興業 相談役
Vol.1
産業国家日本の原点 『明治日本の産業革命遺産』を次世代へ
「九州・山口の近代化産業遺産群」世界遺産登録推進協議会 会長/鹿児島県知事