軍艦島は「地球と人類の未来への警告のメッセージ」~元島民ガイドが訴える想いと願い~
プロフィール
1954年 福岡県・筑豊生まれ。
1965年 小学校6年で長崎県の端島(=軍艦島)に移住。
1974年 長崎県立高島高校卒業後、長崎大学商業短期大学部に入学。
1975年 同大を中退。東京でコンピューター関連の仕事に従事。
1982年 長崎に帰郷。
1999年 25年振りの同窓会で端島に渡航。その際、風化する端島の現状に衝撃を受け、 そこから端島の保存活動を開始。
2003年 NPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」を設立し、理事長に就任。
現在、軍艦島のガイド活動を中心に、講座、講演、執筆など精力的に活動中。著書に『軍艦島 離島40年 人びとの記憶とこれから』(実業之日本社、2014年)、『軍艦島 廃墟からのメッセージ』(亜紀書房、2014年)がある。
■7階建ての学校、9階建てのアパート--小学6年生で移住した“近未来都市”
--坂本さんは2018年11月に開催された「明治日本の産業革命遺産世界遺産ルート推進協議会」の平成29年度、30年度総会で2度、長崎県端島(軍艦島)における長年の活動が世界遺産ルート推進に貢献したとして感謝状を贈呈されました(受賞者は全国2企業4個人)。そもそも軍艦島とはどのように関わってこられたのでしょうか?
坂本 私は福岡の筑豊の生まれで、端島には縁もゆかりもありませんでした。ところが、小学校6年生の時に、炭鉱で働いていた父が同じ三菱系列の端島炭鉱に移ることを決めた。そのため、家族揃って端島に移住したんです。それが端島との出会い。海を見たのも、船に乗ったのも初めてでした。卒業を間近に控えた12月に転校することになり、ただでさえ悲しかったのに、冬の荒海を1時間半もかけてやっと島にたどり着いた時にはお腹の中身も全部出てしまい、本当に涙が出ましたよ。
--島の第一印象は鮮烈なものだったのですね。
坂本 行く前は「炭鉱のある島」としか聞いていなかったので、あの時は本当に後悔しましたよ(笑)。島の環境も筑豊とは全然違っていた。昭和40年代にすでに学校は鉄筋7階建て、住まいも9階建ての高層アパートの9階。筑豊の学校は木造の2階建てだったし、それまで高層ビルなんか見たこともなかった。中学を卒業するまで島内の学校に通ったわけですが、子供心にも常に逃げて帰りたいような葛藤がありましたね。
--高校進学で端島を離れることになったのですか。
坂本 高校は対岸の県立高島高校に船で通いました。高校卒業後は島を出て、長崎市に下宿しながら市内の大学に通いましたので、島での生活は8年ほどです。大学時代は小遣いがなくなると、ときどき端島に帰るという生活でした。
--端島炭鉱が閉山になったのは、ちょうどその頃ですね。
坂本 私が20歳の頃でした。いつものように久々に島に帰ったら、桟橋に両親が立っているんですよ。何事かと思ったら、ちょうどその日が炭鉱が閉山して、住民が島を出て行く期限だったんです。当時はもちろん携帯もない時代ですし、私は何も知らずにのこのこ戻ったんですが、結局、島には上陸せずにそのまま両親と一緒に島を離れることになりました。それが端島との別れになりました。
--えぇっ、なんともドラマチックですね。子供時代を過ごした故郷と突然別れることになった。坂本さんの端島への強い想いはこの時から芽生えた……。
坂本 私の中では、この時点では特別な想いというものはありませんでした。ただ、乗船した島民がみんな、島に向かって手を振りながら涙を流していた。その姿が心に焼き付きましたね。内心、「本当に全員出て行くのかなぁ」と半信半疑だったんですが、まさにこの日が最後の1日だったんです。
--この時の体験が、ふるさとである軍艦島のガイド活動や世界遺産登録の推進活動の原点になったということですね。
坂本 実は、私が軍艦島ガイドになったのはたまたまなんですよ。その後、私は東京に出てコンピューター関連の仕事に従事しました。まだパソコンなどなく、大型コンピューターの時代でしたが、最先端の花形の仕事でしたし、その頃は長崎に戻るつもりなどありませんでした。その頃、妻と知り合って結婚することになりました。妻は端島で生まれ育ったいわば同郷の人間なんですが、結婚後は東京で暮らす予定だったんです。
ところが、妻の母親が四人兄弟の末娘だった妻を可愛がっていて、「長崎に帰って来い!」と言って手放さない(笑)。それで渋々、長崎で暮らすことにしたんです。結婚したのは27歳の時で、それから45歳になるまで長崎でいろいろな仕事しました。もしこの時に長崎に帰っていなければ、私が軍艦島に関わることなかったと思います。
Vol.57
日本の未来のために今を生きる~明治日本の産業革命遺産の使命は「先人のスピリットを活かしていけば日本は救われる」という気づきと勇気を与えること
Vol.56
明治日本の産業遺産は日本の誇り~先人たちの歩みを知ることは日本の教育を見つめ直すことに通じる
フジサンケイグループ 代表
株式会社フジ・メディア・ホールディングス取締役相談役
株式会社フジテレビジョン 取締役相談役
Vol.55
世界遺産登録までの道のりは、山あり谷ありだった~人の縁という運に恵まれ、救われ、道を拓いて~
日本港湾空港建設協会連合会 顧問(元、一般財団法人 港湾空港総合技術センター理事長)
Vol.54
『侍が、カンパニーへ』という歴史的流れは日本の誇り~明治日本の産業遺産の中心的存在である長崎がリードして次世代へつなぐ
Vol.53
日本で初めて反射炉を作った佐賀藩、洋式海軍の拠点だった「三重津海軍所」~世界遺産登録に注いだ情熱を次世代に繋ぎたい。
前、佐野常民記念館(現、佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館)館長
Vol.52
八幡製鉄所は、今も世界最先端のものづくりを作り続ける現役製鉄所
一般財団法人産業遺産国民会議 理事
特定非営利活動法人 里山を考える会 理事
Vol.51
吉田松陰や幕末の志士たちの熱き想い、急速な産業化を通して日本を支えた優れた功績 ~ 松陰神社には明治維新に至る歴史をきちんと伝えていく使命がある
Vol.50
稼働資産「三池港」を世界遺産にする秘策とは。
Vol. 49
明治日本の産業遺産に関する保全マニュアルの重要性とは?
Vol.48
金属学の視点から紐解いて明らかになった産業史の真実~日本人の聡明さ、勤勉さ、不屈の精神を次世代へ伝えることが明治日本の産業革命遺産の使命~
Vol.47
明治日本の産業革命遺産は偉大な教材、覗けば見えてくる様々な世界
元新日本製鐵株式会社社員、世界遺産登録推進室産業プロジェクトチームメンバー
Vol.46
鹿児島から始まった鉄の歴史が日本の近代化を飛躍的に前進させた~薩摩人のバイタリティを、未来に生きる若い世代に引き継いでいきたい~
Vol.45
吉田松陰が工業教育論を説き、命がけで英国へ渡った長州ファイブを輩出~誇らしき萩スピリットを後進へとつなげるために~
Vol.44
三角西港を作った先人の知恵、技術、行動力を子供たちの代へと継承していきたい~コロナ後も続く未来を見据えて今できることに全力で取り組む~
Vol.43
官営八幡製鐵所は「1枚の古写真」から世界遺産になった!~元日鉄マンが明かす、"登録前夜"のとっておきのエピソード~
Vol.42
外に向かって発信する「新しい地元学」を確立したい ~「釜石の誇り」から「日本・世界の中の釜石の誇り」へ!~
Vol.41
観光ガイド歴18年、あふれ出る"三角西港愛"~世界遺産登録はゴールではなく、新たな出発点~
Vol.40
韮山反射炉とともに「刻」をきざむ~物産館&レストラン事業で"反射炉観光"の魅力度アップ~
株式会社蔵屋鳴沢 代表取締役社長
一般社団法人伊豆の国市観光協会会長
Vol.39
運命に導かれて軍艦島デジタルミュージアムを設立~明治日本の産業革命遺産の価値を広く深く伝えるために、自分にできることを始めて、続けて、やり切りたい~
軍艦島コンシェルジュ取締役統括マネージャー
軍艦島デジタルミュージアムプロデユーサー
Vol.38
産業遺産の主役は「人」~世界遺産登録を経て再認識した故郷の素晴らしさ~
Vol.37
すべては長崎の経済発展のために~海運業の枠を超え、長崎の文化や産業遺産の歴史を伝承~
Vol.36
釜石の奇跡と、震災を乗り越えて~世界遺産登録という大きなチャンス~
Vol.35
韮山反射炉とともに後世に伝えたい「850年の歴史資料」 ~待望の新・収蔵庫が完成、保存・修復・活用に弾み
Vol.34
不屈の開拓精神と先人のパワーで時代を切り拓いた歴史~後世へ受け継がれる希望と大きな力~
Vol.33
軍艦島は「地球と人類の未来への警告のメッセージ」~元島民ガイドが訴える想いと願い~
Vol.32
「シンクロニシティー」が生んだ世界遺産登録という奇跡~想いの強さが志ある人々の共感を呼び起こした!~
エム・アイ・コンサルティンググループ株式会社 代表取締役
Vol.31
日本の人達にパワーを~明治日本の産業革命遺産の使命~
渡辺プロダクショングループ代表・株式会社渡辺プロダクション名誉会長
Vol.30
産業遺産の歩みを"100年後を生きる人々"への希望に
Vol.29
"21世紀の薩摩ステューデント"よ、未来を創れ!~旧集成館は鹿児島観光の情報発信拠点~
Vol.28
各地域に着実に広がる「つながりあるストーリー」という意識~保全管理・インタープリテーションのあり方には課題も~
サラ・ジェーン・ブラジル(Sarah Jane Brazil)氏
Vol.27
《為せば成る為さねば成らぬ何事も》~人とつながるための勇気や行動力を~
特定非営利活動法人 九州・アジア経営塾 理事長兼塾長
株式会社SUMIDA 代表取締役
Vol.26
「日本人として、世界に対して誇りを持って発信できる世界遺産」〜内閣官房・有識者会議の流れを決したジャーナリストの視点〜
Vol.25
クラシックカーが「明治日本の産業革命遺産」を走る!~2019年、九州で「ラリーニッポン」を開催~
Vol.24
着々と進む"世界遺産周遊ルート"の整備・振興 ~推進協議会、多彩なプロモーションで世界に向けて魅力発信!~
明治日本の産業革命遺産世界遺産ルート推進協議会会長
一般財団法人産業遺産国民会議理事
(九州旅客鉄道株式会社 相談役)
Vol.23
「遺産観光」の振興に向けたルート整備にいっそうの力を~忘れ難い故郷・呉への空襲と広島原爆の記憶~
一般財団法人産業遺産国民会議 代表理事
(公益財団法人資本市場振興財団 顧問)
Vol.22
世界とつながる町~"長崎のたから"を"世界のたから"へ~
Vol.21
「ICOMOS-TICCIH共同原則」の真価問われる"世界の実験場"~日本政府が推進する新たな保全へのチャレンジ~
Vol.20
忘れ難いS・スミス氏との激論の日々 ~異文化の中で出会った"なじみ深い19世紀の産業遺産"~
Vol.19
歴史や文化を継承することは、次世代の技術革新を生み出す~"使いながら残す"に道を開いた「明治日本の産業革命遺産」~
Vol.18
シリアル登録方式の保全管理に新たな道を拓いた「明治日本の産業革命遺産」-- 今後の大きな課題は「記憶と理解を引き継ぐ人材研修」
ヘリテージ保全並びに世界遺産の専門家としてグローバルに活躍する国際コンサルタント
ダンカン・マーシャル(Duncan Marshall)氏
Vol.17
ジャイアント・カンチレバークレーンと小菅修船場跡の3Dデジタル・ドキュメンテーション
The Glasgow School of Art’s School of Simulation and Visualization、データ・アクイジション責任者
Vol.15
「スコティッシュ・テン プロジェクト」によるデジタル文書化
ヒストリック・スコットランド
スコティッシュ・テン プロジェクト・マネージャー
Vol.14
富士山と韮山反射炉、2つの世界遺産を一望できる茶畑の丘 --次の夢は「子どものためのミニ反射炉」で体験学習
Vol.13
登録までの道のりと資産の今後を見つめて
ロイヤル・カレッジ・オブ・アート副学長・評議会議長
イングランド・ウェールズにおけるカナル&リバートラスト遺産顧問
Vol.12
正確な情報発信の中で、歴史を見つめるきっかけに
Vol.11
「ものづくりの街・北九州」への愛着と誇り--"シビック・プライド"を呼び起こしてくれた世界文化遺産登録
Vol.10
世界遺産登録決定祝賀会レポート(@ドイツ・ボン)
2015年6月28日から7月8日まで、ドイツ・ボンにて第 39 回世界遺産委員会が開催され、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録が決定しました。
今回は、世界遺産登録決定祝賀会の様子をお伝えいたします。
Vol.9
使いながら保存する-「稼働遺産」の保存・活用に新たな道を拓く
阪神高速道路株式会社 取締役兼常務執行役員
(一般財団法人産業遺産国民会議 理事)
Vol.8
港湾法の体系で、世界遺産の保全を担保する
Vol.7
近代化を切り拓いた長州ファイブと試行錯誤の痕跡を残す萩の資産
Vol.6
日本の「ものづくり」「産業」の原点を伝える「明治日本の産業革命遺産」
Vol.5
日本の近代工業化を石炭産業によって支えた三池エリア
Vol.4
国家、社会のため、広い視野と使命感を持って試行錯誤しつつ挑戦し続けた「明治の産業革命」の意義
文部科学省 生涯学習政策局 生涯学習総括官
前 内閣官房 内閣参事官
Vol.3
「鉄は釜石から八幡へ」 近代製鉄発祥の地から誇り高き文化を伝える
Vol.2
強く豊かな国家を目指して 薩摩藩主島津斉彬が築いた『集成館』
一般財団法人産業遺産国民会議 理事
島津興業 相談役
Vol.1
産業国家日本の原点 『明治日本の産業革命遺産』を次世代へ
「九州・山口の近代化産業遺産群」世界遺産登録推進協議会 会長/鹿児島県知事