PEOPLE
《為せば成る為さねば成らぬ何事も》~人とつながるための勇気や行動力を~
特定非営利活動法人 九州・アジア経営塾 理事長兼塾長
株式会社SUMIDA 代表取締役
昭和17年9月生まれ
出身地 福岡県
学歴 昭和41年3月 慶応義塾大学 経済学部卒業
職歴
昭和41年4月 九州電力株式会社入社
昭和61年7月 同社 経理部課長(特別資金調査担当)
昭和63年7月 同社 経理部決算課長
平成03年7月 同社 熊本支店次長
平成05年7月 同社 経理部次長
平成08年6月 同社 宮崎支店長
平成09年7月 同社 理事 宮崎支店長
平成10年6月 同社 理事 総務部長
平成13年6月 同社 常務取締役
平成19年6月 株式会社九電工 代表取締役社長
平成25年6月 同社 代表取締役会長
平成26年6月 同社 取締役相談役
平成27年6月 同社 相談役
平成30年6月 同社 相談役退任
主な社外役職
福岡地域戦略推進協議会(FDC) 都市再生部会長
公益財団法人アジア都市研究所 会長
九州実業柔道連盟 会長
西日本実業柔道連盟 副会長
一般財団法人産業遺産国民会議 理事
特定非営利活動法人アイ・エス・エル 理事
――ドイツ・ボンで開催された第39回世界遺産委員会において、「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ世界文化遺産の登録が決定したのは2015年7月5日のことです。当時を振り返って改めて感じておられることがあればお聞かせください。
登録が決まった瞬間、私は福岡県庁の特設会場にいました。ここまできたら登録は確実だと言われていたのに、日韓調整が難航しているという理由から決定が2日延びたのでしたね。ヒヤヒヤしたのを覚えています。しかし、それだけに正式に登録が決まった時の歓びもひとしおで、一緒にいた福岡県知事の小川さんと万歳をしました。会場に設置されたスクリーンには、ボンにおられた加藤康子さんの笑顔も映し出されていましたよ。私の周囲にいた誰もがみんな口々に「明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産登録は、加藤さんの熱意と行動力の賜物だ」と言っていました。私にしても、それは疑いようのないことだと。あれから3年経ちましたが、加藤さんでなければ成し遂げることはできなかったという想いは強くなるばかりです。
――橋田さんはどのような経緯で加藤康子専務理事と知り合われたのでしょうか?
大上二三雄さん(エム・アイ・コンサルティング株式会社・代表取締役)のご紹介で、加藤さんが福岡まで私を尋ねて来られたように記憶しています。随分と前のことで時期については曖昧なのですが、当時はまだ世界遺産に向けてどのように取り組んで行けばよいだろうと模索しておられる段階でした。
加藤さんとは慶応大学出身という共通項があり、親しみを覚えました。とはいえ出身校が同じだというだけで全面的に応援しようということにはなりません。熱心であることに心を打たれたのです。大きなリュックサックの中からたくさんの資料を取り出して、世界遺産登録に向けての想いを語り聞かせてくれました。「アジアの小国だった日本が経済大国になり得たのは、日本の産業を支えるために命がけで働いた人達がいたからです」「歴史のある城や神社仏閣も素晴らしい日本の財産ですが、私は産業遺産こそがもっとも世界遺産にふさわしいと考えています」と。これは凄い熱量だなと思いのほか感動し……。というのも私は九州電力に勤務していた時代に、業務命令を受けて九州国立博物館や九州国際重粒子腺がん治療センターを設立するための寄付金を集めたり、老舗百貨店を再建するための活動をしたりしていました。九州のために活動することが自分の使命だと思って任務にあたっていた経験があったので、「日本のためになることをしたい」と手弁当で奔走する加藤さんの気持ちをまっすぐに受け止めることができたのです。
フジサンケイグループ 代表
株式会社フジ・メディア・ホールディングス取締役相談役
株式会社フジテレビジョン 取締役相談役
日本港湾空港建設協会連合会 顧問(元、一般財団法人 港湾空港総合技術センター理事長)
前、佐野常民記念館(現、佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館)館長
軍艦島コンシェルジュ取締役統括マネージャー
軍艦島デジタルミュージアムプロデユーサー
世界遺産コンサルタント
明治日本の産業革命遺産世界遺産ルート推進協議会会長
一般財団法人産業遺産国民会議理事
(九州旅客鉄道株式会社 相談役)
一般財団法人産業遺産国民会議 代表理事
(公益財団法人資本市場振興財団 顧問)
ヘリテージ・モントリオール政策部長
ヘリテージ保全並びに世界遺産の専門家としてグローバルに活躍する国際コンサルタント
The Glasgow School of Art’s School of Simulation and Visualization、データ・アクイジション責任者