PEOPLE
不屈の開拓精神と先人のパワーで時代を切り拓いた歴史~後世へ受け継がれる希望と大きな力~
国民民主党長崎県連代表
1945年生まれ。山口県出身。
1964年山口県立下関工業高校卒業。
出身分野:議員
当選回数:衆議院9回
1975年4月長崎市議会議員
1987年4月長崎県議会議員
1990年2月衆議院議員
1998年8月衆議院石炭対策特別委員長
2004年1月衆議院農林水産委員長
2010年9月文部科学大臣(菅改造内閣)
2011年1月文部科学大臣(菅再改造内閣)(留任)
2012年10月衆議院議院運営委員長
2012年12月民主党国会対策委員長
2017年9月衆議院解散をもって国会議員を引退
ーー加藤六月先生譲りのバイタリティーに触れて
私が加藤康子さんと初めてお目にかかったのは、2000年頃だったか……。私は、98年から2年間に渡り衆議院石炭対策特別委員長を務めていました。そうしたことから、橋本希俊さん(元県議会議員)よりお声がけいただき、野母崎町・高浜(現・長崎市)で行われた「軍艦島を巡る市民運動」に参加しました。軍艦島が真正面に見える場所にムシロを敷いてバーベキューをしながら語り合うといったものでした。
当時、康子さんから伺ったのは「三池港を始めとする九州・山口地区の歴史ある産業関連施設を世界遺産に登録するという発想を抱いています」というものでした。意見の相違を超え、誰もが「世界遺産とは大きく出たな」と一様にポカンとしてしまったという感じでしたね(笑)。
私は康子さんのお父様にあたる加藤六月先生にお世話になり、非常に尊敬しておりましたので、何よりもまず加藤先生とのご縁を感じて感激しました。さらに「康子さんは先生譲りの正義感やバイタリティーを備えておられる」と感じて嬉しくなったことを覚えています。
ーー産業遺産は日本の誇り
私の政治活動は1975年4月、長崎市議会議員に選出されたことから始まります。それ以前は三菱重工長崎造船所で労働組合執行役員をしておりました。岩崎弥太郎の時代に始まった長崎造船所が日本の近代化に果たした役割の大きさを深く認識していたので、「日本の産業遺産」は世界遺産に登録する価値があるという康子さんのお考えに賛同したのです。
たとえば三菱長崎造船所内の資産の一つである「ジャイアント・カンチレバークレーン」はスコットランド製で、設置してから100年を経た今でも現役で稼働しています。優れた機械をいち早く導入したという先見の明もさることながら、今日に至るまで大切に使い続け、日本の産業を支えているという点においても素晴らしい。「三菱長崎造船所」と同様に稼働資産である「官営八幡製鐵所」や「三池港」も多大な価値がある。稼働資産に限らず産業遺産は日本が世界に誇るべきものだという思いがありました。
アジアの一角で世界に冠たる技術を高め、産業を興し、短期間で経済大国へと成長した日本の歴史は、日本人が不屈の精神を備えていることを物語っています。初めて康子さんとお目にかかった頃、既に世の中はAIの時代を迎えるだろうと言われ始めていましたが、そういう時代が来れば来るほど、先人のパワーが語り継がれるべきだという想いでした。AI一色となった世界の中で人々は精神性の大切さを忘れて軸がブレてしまうこともあるでしょう。その時に「日本には開拓精神とマンパワーで時代を切り拓いた歴史がある」という事実が伝承されていれば、日本人の大きな力になるはずだと。
産業遺産の世界遺産登録に力を注がれた方々はみなさん同様に、未来の人々に希望を与えるために、ひいては日本経済の発展に貢献したいという一心で活動しておられたことと思います。
フジサンケイグループ 代表
株式会社フジ・メディア・ホールディングス取締役相談役
株式会社フジテレビジョン 取締役相談役
日本港湾空港建設協会連合会 顧問(元、一般財団法人 港湾空港総合技術センター理事長)
前、佐野常民記念館(現、佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館)館長
軍艦島コンシェルジュ取締役統括マネージャー
軍艦島デジタルミュージアムプロデユーサー
世界遺産コンサルタント
明治日本の産業革命遺産世界遺産ルート推進協議会会長
一般財団法人産業遺産国民会議理事
(九州旅客鉄道株式会社 相談役)
一般財団法人産業遺産国民会議 代表理事
(公益財団法人資本市場振興財団 顧問)
ヘリテージ・モントリオール政策部長
ヘリテージ保全並びに世界遺産の専門家としてグローバルに活躍する国際コンサルタント
The Glasgow School of Art’s School of Simulation and Visualization、データ・アクイジション責任者