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松陰神社 名誉宮司

「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録は、歪んだ歴史を正す役割を担っている
上田 海外の人たちがどんなマジックを使えば、短期間であれほどまでの成長を遂げることができるのか? と関心を持つほどの出来事であるにもかかわらず、多くの日本人の中で明治産業革命に関する歴史が抜け落ちていたというのが解せません。
加藤 原因として考えられるのは戦後の教育体制でしょう。GHQの方針で教科書にある近代化における日本人の功績の事実を墨で塗りつぶしてしまったのですから。「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録は、その歪んだ事実を正し、「日本人はダメだ」から「日本人は凄いんだ」という意識へと塗り替えるための重要な役割も担っていると思います。
上田 日本人には凄い底力があると示すことは、日本人の自信ややる気につながり、延いては未来の日本を支えることにつながっていく。これは大きなことです。幕末期の日本のありようから我々が学ぶことはたくさんありますね。
加藤 たとえば日本では1億2500万人の人口がいて、少子高齢化だと嘆いていますけれど、産業化という偉業を成し遂げた明治幕末の人口は3300万人でした。つまり恐れるに足らずで、人口は関係ないのですよ。大切なのは志。たった一人であっても松陰先生のような非常に志の高い人物がいれば、必ず日本を豊かな国へと変えることができると私は強く思うのです。
上田 志の高い人物の及ぼす影響は大きいということを私も感じます。松陰先生の人間力を感じるにつけ、リーダーシップとはこういうものかと感嘆します。松下村塾に通った塾生は92名といわれているのですが、そのうち78名について松陰先生が書かれた人物評が残っているのです。松陰先生の書かれた書物の中から我々が丹念に抽出してまとめ、神社から出版しております。そうした経緯から私は、松陰先生は個人指導、個性指導というものをしっかりとやられたのだなと。塾生の一人ひとりと向き合い、「鋭く、厳しく、優しく」指導なさっておられたのだと確信しているのです。
加藤 なるほど。バランスをもって指導に当たっておられたという点が興味深いですね。
上田 幽囚室の時代から松陰先生と一番長く過ごした塾生でも2年10か月、松下村塾に移ってからは1年ちょっとです。その短い中で塾生たちの士気を高めるために必要不可欠だったのは、知恵や知識も然ることながら人望だったのではないでしょうか。
加藤 当時、日本は激動期にあって、さまざまな人の想いが交錯していたと思うのです。松陰先生は金子重之輔とともにペリー艦隊に潜入し、海外密航を企てるも失敗するという「下田踏海事件」を起こして野々山獄に投獄され、釈放後は実家の杉家で幽閉された。志半ばで終われないといった焦燥感が募る中、かくなるうえは己を捨てて次世代を担う人材の育成に人生をかけようと心に誓ったのではないかと私は推察するのですが、いかがでしょうか
上田 新しい国造りという目的を果たすためには同士が必要だったのです。松陰先生が松下村塾をひらいた時に残した「松下陋村と雖も、誓って神国の幹とならん」という言葉があります。 これは「松本村という田舎にある塾であっても、必ず日本を支える太い幹となってみせる」といった意味ですが、この宣言こそが「人材育成に人生をかけよう」と決意していた証でしょう。
加藤 そして宣言通りに夢を実現化したと。
上田 松陰神社には松陰先生や志士たちの功績を発信していく使命があると考えています。そこで昨年も三畳半の幽囚室から松下村塾へと移った11月5日に、「松下村塾の現在、過去、未来」をテーマにシンポジウムを開きました。また私が着任した平成22年頃から村塾で講話を行っております。それ以前は松下村塾に上がることは100パーセントできなかったのですが、私は実際に部屋にあがっていただき、雰囲気を体験していただくことが発信力につながるのではないかという想いから研修目的であることと限定し、開放することにしたのです。
加藤 宮司の懸命なご活動には頭の下がる想いがいたします。また、萩の方々の歴史に向き合い、歴史に厳しく、歴史を大切にしておられる姿勢に常々敬意を感じています。それだけに、「至誠館」を見学してはじめて知ることが多いというのは残念だといいますか、私はまだまだ日本全国に松陰先生や志士たちの功績が浸透していないのではないかという危惧を抱いているというのが忌憚のないところです。このことに関しても、日本の歴史教育のありようが弊害となっているように思うのですが。
上田 ええ。ここへきて単語が多いという理由から「坂本龍馬」「武田信玄」「上杉謙信」とともに「吉田松陰」の名が高校教科書から削られるという問題が浮上し、現在、我々が文部省に対してどう動いていくのかについての骨組みを作っているところです。
加藤 吉田松陰は江戸幕府からすればテロリストを育成した思想犯であるとする向きもありますが、それは歴史の歪曲というものです。歪曲された情報を発信されると人々の潜在意識の中に嘘が真実として刻まれてしまう。日本ではきちんとした歴史教育をしていないので、あっさりと嘘が真実に置き換えられてしまいがちで、これはとても怖いことです。
上田 端島について韓国が「軍艦島は地獄島だった」などと言っていることに対して、加藤先生はどうお考えですか?
加藤 歪曲された歴史を払拭するためには戦うしかないと思います。農耕民族である日本人は戦うことを良しとしない傾向にあります。しかし戦うべき時には戦う必要があるのではないでしょうか。ロシアとウクライナの戦争においてもロシアによるプロパガンダが行われていますが、ウクライナは間違った情報が忘れ去られるのを待ってなどいない。すぐにアクションを起こして戦います。
上田 歪曲された歴史が忘れ去られるのを待つといって、そんな日は来ないでしょう。放置するのは「それでいい」と認めるに等しい。
加藤 でも萩の歴史に関しては安心要素があります。なんといっても萩の人たちの中には侍スピリッツが流れていますので。
上田 いずれにせよ、歪曲な歴史をそのままにしておくことはできません。人間は性善説で生きることが大切なのですが、対国家ということになると性善説で押し通すことが正しきありようだとはいえない場面もあるのだと思います。
加藤 何をもって性善説とするのかということが問題で、松陰先生の志や成し遂げられたこと事態が、日本の歴史を好転させたという絶対的な事実である以上、堂々と主張できる話です。臆することもなし。松陰先生の功績を教科書から消してしまうなどというのは言語道断であるとスパンと打ち返せることだと思います。今後は歴史における学校教育の問題に取り組むことが大きな課題と言えそうです。是非、萩から一石を投じていただきたい。私も全力で応援させていただきますので、引き続きよろしくお願いいたします。
松陰神社公式サイト:https://showin-jinja.or.jp/
(構成・文/丸山 あかね)
前、佐野常民記念館(現、佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館)館長
軍艦島コンシェルジュ取締役統括マネージャー
軍艦島デジタルミュージアムプロデユーサー
世界遺産コンサルタント
明治日本の産業革命遺産世界遺産ルート推進協議会会長
一般財団法人産業遺産国民会議理事
(九州旅客鉄道株式会社 相談役)
一般財団法人産業遺産国民会議 代表理事
(公益財団法人資本市場振興財団 顧問)
ヘリテージ・モントリオール政策部長
ヘリテージ保全並びに世界遺産の専門家としてグローバルに活躍する国際コンサルタント
The Glasgow School of Art’s School of Simulation and Visualization、データ・アクイジション責任者