PEOPLE
渡辺プロダクショングループ代表・株式会社渡辺プロダクション名誉会長
――渡邊会長は、2012年に戦後の日本に音楽産業と文化をもたらした功績を称えて贈られる藍綬褒章を受賞されておられますが、音楽の力というのは大きいですね。戦後の日本人の心に豊かさを与え、励まし、支え、自由に夢を見ていいのだと教えてくれたのは音楽だと思います。渡辺プロダクションは高度成長期の立役者といえるのではないでしょうか。1958年に開催された日劇ウエスタン・カーニバルに人々は湧きました。また、テレビの創成期に音楽とテレビの蜜月期を作り、制作された「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」などの番組を通じて、音楽がお茶の間に溢れ、日本人のモチベーションが高まりました。
ありがとうございます。主人の渡辺晋と私の願いは日本の皆さんに笑顔を提供することでした。皆さんに喜んでいただくためにはどうしたらいいのかしら? 明日も頑張ろうという気持ちになっていただくために、私たちに何ができるかしら? といつも考えていました。真剣に考えていると、いろいろな発想が思い浮かびます。お父さんだってお母さんだって、子供の喜ぶ顔が見たいから頑張って働くのでしょう? 人は自分だけのためには頑張りに限界を感じてしまうけれど、誰かのためになら幾らでも頑張ることができるのです。頑張ると言うと無理をしているように聞こえるけれど、誰かのために頑張ることが自分の喜び。その喜びを享受することを幸せというのだと私は思うのです。
音楽は物づくり。私が仕事を通じて得た大きな幸せは、産業国家日本がこの国を豊かにしようと試行錯誤する中で育まれた物づくりの精神の上にあります。ですから私は明治日本の産業革命に携わったすべての方々に敬意を表したい。その想いを形にしてくれるというのですから、これはもう康子さんの応援をするしかないと、そこに1ミリの迷いもありませんでした。
――具体的にはどのような形で加藤専務理事を応援なさったのでしょうか?
大したことはしていないのです。ただ仕事柄たくさんの方と交流があるので、この人なら康子さんの活動に理解を示し、活動資金の面からもサポートしてくれるはずだと、私が信頼を寄せる方を幾人かご紹介しました。
もともと私は人と人を繋ぐのが好きです。誰かに誰かをお引き合わせする時、私の中には必ず素敵なことが起こると予めシナリオができています。たとえば、この人には才能があるのに、縁に恵まれないがために才能が空回りしてしまっていると感じることがあって、そう思ったら直ぐに行動へ移します。実際に歌手と作詞家や作曲家といったアーティストのお見合いが成立して、ヒット曲が生まれるといったケースを数えきれないほど見てきました。それはもう例えようもなく嬉しい事です。だって自分の閃きが多くの人を感動させることに繋がるのですから。つまりそれが私の仕事の醍醐味なのですね。
康子さんをはじめとする明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産登録に関わった方々も日本の明るい未来を見据えておられました。その想いが本物だったからこそ夢が現実となったのではないでしょうか。
――今年の10月に九州でクラシックカーが明治日本の産業革命遺産を走る「ラリーニッポン」が開催されますが、クラシックカーと明治日本の産業革命遺産を結び付けるというアイデアを閃かれたのは渡邊会長だと伺っています。
ある会合で一般財団法人ラリーニッポンの代表理事である小林雄介さんと出会い、彼の活動を知って「あなたのやっていることを康子さんに言ってみたら? きっと何かできるはずだから」とお伝えしました。
せっかく世界文化遺産に登録されたのだもの。そのことをもっと広めなくては埋もれてしまうし、保全活動をしていくための協力を得るためにも盛り上げる必要があると思うのです。もとより私は、大きなイベントを開催できたらいいなと考えていました。何かを広めたいなと思ったら派手に打ち上げなくては、中途半端なことを幾ら打ち出しても中途半端な結果しか得ることができないと思います。
クラッシックカーと産業革命遺産の融合です。
かっこいいクラシックカーが走る姿を一目見たいと、クラシックカーマニアのみならず、多くの人が全国から駆けつけることでしょう。みなさんが写真を撮ってSNSでアップすると、その背景にはもう一つの主役である明治日本の産業遺産が映っている。そこから世界遺産に登録されたことを知る人もいるでしょうし、関心を持つ人もいるでしょう。感動した人は情報を拡散してくれることでしょう。
私の閃きが思いのほか迅速に実現化して、「これはいける」という手ごたえを感じています。何かを動かす時に必要なのは勢いなのです。昔から思い立ったが吉日というでしょう? グズグズしていてよい結果を生むことはないのです。慎重に事を進めることも大切ですが、どの道やってみなければわからないことだらけなのですから。こうしたことは私が仕事を通して学んだ哲学だといえるでしょう。
エンターテイメントの世界では、グズグズしていたらアイデアを誰かに先取りされてしまうかもしれないし、関わる人の情熱が薄れてしまうこともあります。時代の流れを読んで半歩先を行く。そのためには見切り発車をする勇気が必要だと思います。
それでいえば、明治日本の産業革命遺産を世界文化遺産へと乗り出した康子さんも勇者です。
また、文化庁が文化遺産と自然遺産だけが世界遺産だと思い込んでいたところへ、産業遺産もあると強く推した方々はみなさん先見の明に長けておられました。これは行ける、これはダメだと判断を下すためのセンサーは知の蓄積によって働きます。経験値豊かな方々の正しき判断が大きな希望へとつながりました。
――先見の明といえば、イギリスのロックバンド「クイーン」を世界に先駆けて日本での成功へと導いたのは渡邊会長でした。昨年はクイーンのボーカル・フレディ・マーキュリーの半生を描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットしましたが......。
そのことで昨年はたくさんの取材を受けまして、ずいぶん昔のことをちゃんと覚えている人がいるのだなと驚いてしまいました(笑)。
一つの仕事を長く続けていると色々なことがありますが、時代をぐるりと一巡りして再び脚光を浴びるのは本物だけ。本物は必ず残ります。明治日本の産業革命遺産もそうですね。
――最後に一般財団法人産業国民会議の今後の活動に関して、伺いたいと思います。
「令和」という年号が発表され、日本は新しい時代へと突入しました。来年はオリンピックイヤー、
その後には大阪万博も控えています。まるでデジャヴのよう。1964年の東京オリンピック、70年の大阪万博の時のことを懐かしく思い出します。
私はEXPO70のポピュラーミュージックのプロデューサーを務めました。まだまだ女性が国の威信をかけた歴史的行事の会議に出席するなんてとんでもないという時代で、会議に女性が加わっているのに慣れていらっしゃらない男性の中に入り、これは大変なことをお引き受けしまったなと戸惑いを覚えましたが、それこそ必死で取り組んで、石坂万博会長に「美佐さんにお願いしてよかった」と言っていただいた時は本当に嬉しかった。
オリンピックにしても万博にしても、歴史的な出来事は人の記憶に刻まれます。家族で過ごしたあの頃、意気揚々としていた若き日の記憶は心の財産となります。それが素晴らしい事です。
明治日本の産業革命遺産が世界文化遺産に登録されたということも、オリンピックや万博と同様に日本の歴史に刻まれました。日本の人達にパワーを取り戻していただくことが明治日本の産業革命遺産の使命だと思います。このことを重く受け止め、これからも広くお伝えするための活動をさらに活性化させていく必要があるでしょう。私も閃きを武器にさまざまな提案を通して尽力を尽くしていきたいと思っています。
(インタビュー&執筆:丸山あかね)
前、佐野常民記念館(現、佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館)館長
軍艦島コンシェルジュ取締役統括マネージャー
軍艦島デジタルミュージアムプロデユーサー
世界遺産コンサルタント
明治日本の産業革命遺産世界遺産ルート推進協議会会長
一般財団法人産業遺産国民会議理事
(九州旅客鉄道株式会社 相談役)
一般財団法人産業遺産国民会議 代表理事
(公益財団法人資本市場振興財団 顧問)
ヘリテージ・モントリオール政策部長
ヘリテージ保全並びに世界遺産の専門家としてグローバルに活躍する国際コンサルタント
The Glasgow School of Art’s School of Simulation and Visualization、データ・アクイジション責任者