PEOPLE
2015年6月28日から7月8日まで、ドイツ・ボンにて第 39 回世界遺産委員会が開催され、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録が決定しました。
今回は、世界遺産登録決定祝賀会の様子をお伝えいたします。

加藤康子専務理事の挨拶
先ほど和泉補佐官から言われた通りでございまして、1日に30回和泉さんにメールを送ったこともあり、周囲を困らせながら、このプロジェクトを進めて参りました。私にとって、今年は16年目になります。16年もの間、このプロジェクトを続ける事ができ、そして応援していただいた皆様とご一緒に、こうしてお祝いができるということは、大変幸せなことで、感無量であります。ただ、政治問題にばかりメディアがフォーカスをして、このプロジェクトのダイナミズムを、充分にご理解をいただくことができなかったことは、私はとても残念です。これは日本で最初の大型シリアル・ノミネーションで、このプロジェクトは登録の過程で多くのブレイク・スルーを成し遂げました。
例えば、イコモス・ティキの共同原則を、保全の哲学に応用したのは、明治日本の産業革命遺産が世界で初めてです。また、私たちは保全の体制に日本で初めてマネージメントシステムを導入しました。その下に、個別の保全管理計画を作成しました。この枠組みにより、民間企業が、ヘリテージの保全に主体的に参画するようになりました。世界においても画期的な事例をつくったのです。さらに、プロジェクトの実現のため、日本政府に新しい税の仕組みも作っていただきました。民間が所有している産業設備を、現役で使いながらも、固定資産税の減免がある。これはヘリテージの新しい財源として世界のヘリテージ関係者にも注目をされています。このプロジェクトはあらゆる面において、イノベーティブでした。せっかく、補佐官のバックアップで内閣官房の中に産業遺産室を作っていただいたわけですから、我々はその産業遺産室で、今後もこの画期的なシステムを護り続けていかなければなりません。それが、世界遺産の保全に重要であることを、今日皆さんと確認をしたいと思います。もしもまた所管が文化庁に戻ると、「明治日本の産業革命遺産」は、危機遺産になってしまいます。枠組みが機能するかどうかは、今後の査定においても重要なポイントであり、せっかく内閣官房に枠組みができたのですから、ここできちんと守っていかなければならないと、決意を新たにいたしております。
今後もいろいろなチャレンジがありますが、どのような困難であっても、今日の日を忘れず、皆で乗り越えていかなければなりません。端島の保全も大きなチャレンジですが、そもそも大型のシリアルには、皆さんの協力が必要です。政府、民間企業、遺産に関わる皆さん全員の協力が必要です。全員参加の哲学を皆さんと共有し、今後も全力でブレイク・スルーをはかっていきたいと思います。
青柳正規文化庁長官の挨拶
さきほど加藤康子さんが、文化庁に戻すとリスク遺産になってしまうとおっしゃいましたが、稼働資産も、いつまでも働かされるのは苦しいといっているのかも、たまには休みたいと言っているのかもしれません。
イギリスからの専門家の方々に大変お世話になっていますが、大きな歴史的因縁を感じています。
いまから150年前、イギリスでは工学が発達していました。そのグラスゴーから日本に1870年代にイギリスの若き工学者のヘンリー・ダイアーやってきました。彼は日本の東京大学に工学部を創設した偉大な人物です。そして彼がイギリスに戻ったときに、その彼がいみじくも語っております。ヨーロッパでは工学部はなく、ポリテクニック(工科専門学校)しかなかったのですが、日本では大学の中に工学部ができている。大学という最高の知の組織の中でつくられているので、わが国ものんびりしていると日本に追い越されてしまうということをイギリスに帰ってからの講演で話しております。
と同時に、彼はその講演でサイエンティストと紹介されたとき、「私はサイエンティストではありません。Man of Scienceです」と言ったのです。全人格的な大きさという意味で、我々はイギリスを追い越してはいないように思います。
そのことを思い出しながら、今日いろいろな方々にご協力をいただきながら、世界遺産登録が実現できたことを記念して、乾杯をしたいと思います。
ニール・コソン卿の挨拶
日本の外にいる多くの友人を代表して、今日、記載を達成した素晴らしい出来事を、心よりお祝い申し上げたいと思います。本当にこれは素晴らしいノミネーションであり、非常に斬新な、革新的な、新たなものであり、ユネスコのこれまでの取り組みにチャレンジする、まったく新しい考えのものであります。
私も康子さんについて申し上げなければならないことはあります。
アイルランドの有名な哲学者、ジョージ・バーナード・ショーの格言、「進歩は道理をわきまえない、気むずかしい男のおかげである」があります。その「アンリーズナブルな男性」というものに、「アンリーズナブルな女性」も加えたほうがよいのではないかと思います。
まさに康子さんは、私が知っている中で、もっともアンリーズナブルな女性かもれません。本当に難しいときがありますし、ほとんど対応できないときもあります。
和泉博士、あなたはまだまだ大変なことを知らない。ラッキーといえます。なぜなら1日にわずか30通のメールしか受け取っていないから。私は朝出かけて夕方帰ってき、何かメッセージはなかったかと妻に聞くと、「5回康子さんから電話がありましたよ」と言われます。
しかし、強調したいと思います。本当に、献身的で、焦点を当てて、とにかくそれに妥協なく、しっかりと取り組んでくるという、そのプロジェクトに対する強いコミットメントを示すものであり、そのおかげで、今日こうして記載をお祝いする、登録ができるという機会を迎えたのです。
そこで、この非常にアンリーズナブルな女性である康子さん、非常に我々にとっては苦痛でもあり苦悩でもありますけれども、ここでぜひ康子さんにありがとうと言いたい。康子さんのおかげで今日こうしてお祝いができています。本当にありがとうございました。
そしてまた、会場にお集まりの皆様に感謝を申し上げたいと思います。ここ数年、皆様方と一緒にこのプロジェクトに取り組んでことができまして、大変光栄であり、貴重な機会だったと考えております。皆様方の、プロジェクトへのコミットメントは素晴らしいものであり、皆様のプロジェクトに対する強い信念、これによって今回の記載の成功につながったものと確信しております。
最後に、覚えておいていただきたい難しいポイントがありました。ここ数週間、難しい国の存在がありました。そして、もちろんその懸念されている問題に対しては、きちんと対応していかなければなりませんが、だからといって、今回まさにこの遺産の中核となっている19世紀のなか頃から1910年にいたる重要な価値を毀損するものではまったくありません。この期間、日本が孤立した鎖国の状態から、まだ封建的な国の状況から近代国家へと変わっていったわけであります。それがまさにノミネーションの中心部分であり、記載するために提出した内容であります。
最後にビクトリア女王の言葉を引用して終わりたいと思います。
私達は敗北に関心はない。それは存在しない。
前、佐野常民記念館(現、佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館)館長
軍艦島コンシェルジュ取締役統括マネージャー
軍艦島デジタルミュージアムプロデユーサー
世界遺産コンサルタント
明治日本の産業革命遺産世界遺産ルート推進協議会会長
一般財団法人産業遺産国民会議理事
(九州旅客鉄道株式会社 相談役)
一般財団法人産業遺産国民会議 代表理事
(公益財団法人資本市場振興財団 顧問)
ヘリテージ・モントリオール政策部長
ヘリテージ保全並びに世界遺産の専門家としてグローバルに活躍する国際コンサルタント
The Glasgow School of Art’s School of Simulation and Visualization、データ・アクイジション責任者