Top
明治日本の産業革命遺産
  • App Downloads
  • Google Cultural Institute
JAPANESE  ENGLISH

旧集成館

  • 集成館の反射炉跡。1857年に建設された2番目の反射炉の下部構造であり、伝統的な日本の石工技術が使われています。鉄製大砲の製造を目指して建設されましたが実際は銅の鋳造に使われました。建設当初は高さ15メートルありました。
  • 旧鹿児島紡績所技師館(1867年)
  • 旧集成館機械工場
  • 島津斉彬(1809-1858年)。薩摩藩藩主。日本で最初の工業地帯を作り、日本の近代化を成し遂げた開明君主の一人として知られています。
  • 1863年に製造されたオランダから輸入された形削盤。尚古集成館に現存し、重要文化財に指定されています。
  • 鹿児島紡績所と技師館の古写真(1872年)
集成館の反射炉跡。1857年に建設された2番目の反射炉の下部構造であり、伝統的な日本の石工技術が使われています。鉄製大砲の製造を目指して建設されましたが実際は銅の鋳造に使われました。建設当初は高さ15メートルありました。 旧鹿児島紡績所技師館(1867年) 旧集成館機械工場 島津斉彬(1809-1858年)。薩摩藩藩主。日本で最初の工業地帯を作り、日本の近代化を成し遂げた開明君主の一人として知られています。 1863年に製造されたオランダから輸入された形削盤。尚古集成館に現存し、重要文化財に指定されています。 鹿児島紡績所と技師館の古写真(1872年)

薩摩藩第二十八代当主島津斉彬は阿片戦争での清の敗北に衝撃を受け海防の重要性をいち早く認識、欧米列強に対抗するため大砲鋳造や造船を核とした集成館事業を興した。集成館事業では造船、製鉄、ガラス、紡績、電信など様々な産業の育成に挑戦した。日本初の西洋式工場群では最盛期に1,200人が働いていた。
集成館事業の一端を象徴する同反射炉は薩摩の志士がオランダ陸軍のヒュゲニン少将著の鉄製大砲鋳造のための書物「ルイク国立鋳造所における鋳造法」を片手に、外国人技術者の指導なしに自力で建造した。幕末、海防の危機感から大砲建造のため全国各地に建設された反射炉十一基の内、現存する三基の反射炉の一つで藩士たちの西洋科学への挑戦と試行錯誤の実験を物語る遺構である。

島津斉彬の没後、薩英戦争により集成館は焼失したものの、その後、島津久光・忠義父子により集成館事業の本格的な再構築がされた(第二期集成館事業)。旧集成館機械工場は船舶用機械修理工場として幕府の長崎製鉄所を模して建設。オランダの機械類が輸入され設置された 。尚、飽の浦の長崎製鉄所は残存していない。
その他、蒸気機関を用いた日本最初の西洋式紡績工場である鹿児島紡績所の地下遺構、その紡績所で技術指導を行ったイギリス人技師たちの住居(旧鹿児島紡績所技師館)が現存している。

画像提供:尚古集成館
許可なく写真の複製、本文、内容の引用を固く禁じます。
旧集成館
文化財指定: 国指定史跡
所在地: 〒892-0871 鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
Tel: 099-247-1511
FAX 099-248-4676
開館時間: 8時30分~17時30分
休館日 年中無休
アクセス
  • 鹿児島から宮崎に走る国道10号沿い左側
  • JR鹿児島中央駅から車20分
  • 鹿児島空港から車50分
  • 周遊バス:カゴシマシティービュー・まち巡りバスにて30分、仙巌園前(磯庭園前)バス停下車すぐ
駐車場 有(バス50台 乗用車500台)
関連サイト 尚古集成館