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明治日本の産業革命遺産
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旧集成館

  • 集成館の反射炉跡。薩摩藩は、海防の危機感より、鉄製大砲を鋳造しようと、オランダの技術本を片手に、外国人技術者の指導なしに自力で反射炉を建造した。1850年代、日本に大砲鋳造のために建設された反射炉11基の内、現存する3基の1つ。集成館事業における薩摩の西洋科学への挑戦と試行錯誤の実験を物語る。
  • 旧鹿児島紡績所技師館(1867年)
  • 旧集成館機械工場
  • 島津斉彬(1809-1858年)。薩摩藩藩主。海防の重要性をいち早く認識。欧米列強に対抗し富国強兵・殖産興業のため、大砲鋳造や造船を核とした集成館事業を興し、造船、製鉄、ガラス、紡績、電信など様々な産業を育成した。今でも反射炉跡やガス燈実験に使った灯籠など数々の遺産が残っている。
  • 1863年に製造されたオランダから輸入された形削盤。尚古集成館に現存し、重要文化財に指定されています。
  • 鹿児島紡績所と技師館の古写真(1872年)
集成館の反射炉跡。薩摩藩は、海防の危機感より、鉄製大砲を鋳造しようと、オランダの技術本を片手に、外国人技術者の指導なしに自力で反射炉を建造した。1850年代、日本に大砲鋳造のために建設された反射炉11基の内、現存する3基の1つ。集成館事業における薩摩の西洋科学への挑戦と試行錯誤の実験を物語る。 旧鹿児島紡績所技師館(1867年) 旧集成館機械工場 島津斉彬(1809-1858年)。薩摩藩藩主。海防の重要性をいち早く認識。欧米列強に対抗し富国強兵・殖産興業のため、大砲鋳造や造船を核とした集成館事業を興し、造船、製鉄、ガラス、紡績、電信など様々な産業を育成した。今でも反射炉跡やガス燈実験に使った灯籠など数々の遺産が残っている。 1863年に製造されたオランダから輸入された形削盤。尚古集成館に現存し、重要文化財に指定されています。 鹿児島紡績所と技師館の古写真(1872年)

薩摩藩は日本列島の南の玄関口に位置し、諸藩のなかではとりわけ外洋での和船の操縦法に長けていた。阿片戦争で大国・清が敗れてからというもの、海防の危機感が高まり、諸藩に先駆け大砲の鋳造や蒸気船の建造に挑戦した。開明の殿様島津斉彬が藩主になると、桜島を望む島津家の別邸に、仙巖園の隣地を切り開き、「集成館」という日本初の工場群を建設した。大船建造の禁が解かれると、幕府の奨励に呼応し、和船の技術で三本マストの洋式帆船「昇平丸」を建造し、外国船と区別するため日の丸を掲げた。また、直ちに江戸・薩摩双方において蒸気機関の製作を命じた。藩士たちは蒸気船技術書の訳本を片手に、試行錯誤の末、1855年、日本初の蒸気船「雲行丸」を建造。長崎海軍伝習所より訪れたオランダ人教官を驚かせた。

画像提供:尚古集成館
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旧集成館
文化財指定: 国指定史跡
所在地: 〒892-0871 鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
Tel: 099-247-1511
FAX 099-248-4676
開館時間: 8時30分~17時30分
休館日 年中無休
アクセス
  • 鹿児島から宮崎に走る国道10号沿い左側
  • JR鹿児島中央駅から車20分
  • 鹿児島空港から車50分
  • 周遊バス:カゴシマシティービュー・まち巡りバスにて30分、仙巌園前(磯庭園前)バス停下車すぐ
駐車場 有(バス50台 乗用車500台)
関連サイト 尚古集成館