明治日本の産業革命遺産は偉大な教材、覗けば見えてくる様々な世界
元新日本製鐵株式会社社員、世界遺産登録推進室産業プロジェクトチームメンバー
世界遺産登録推進室産業プロジェクトチームの一員である菅さんが、問題点として捉えていることがあればお聞かせください。
明治日本の産業革命遺産の最大の特徴は、ひとつひとつの構成資産はそれ自体で完結的な価値をもつものではなく、非西欧世界においてただ一国、百年以上前に産業の近代化・工業化を自国で成し遂げたことの証言者であり、個々の証言の背後にある史実こそが顕著で普遍的な価値を持つと理解する必要があります。芸術性やスペクタル性に秀でた世界遺産と比較するとどうしても地味、あるいは中途半端な存在で集客による経済効果を通しての地域活性化を実現するのはかなり厳しいものと思います。
この世界遺産が訴える先人たちの偉業から何を学び、後世に広く伝えるために何をなすべきか、いくつか課題があると思うのですが、一つの方向はインタープリテイションの問題と考えています。この件に関しては、ティルデン(F. TILDEN)の‘Interpreting Our Heritage’がとても示唆に富んでいると思います。彼は主に自然遺産を対象にしていますが、見学者や訪問者に内発的な関心を呼び起こす動機付けの工夫がインタープリテイションの本質であるとしています。歴史・科学・国際化・経済・文学・人物あるいは地域などの興味別の切り口と若年者の年齢層に応じたシナリオを用意しておくことが肝要なのだと思います。「明治日本の産業革命遺産」を一種の知的テーマパーク、偉大な知的教材としてとらえるといろいろなインタープリテイションのアイデアが湧いてくるのではないでしょうか。
また地域活性化の関しては、多くの構成資産の展示施設では説明案内者を熟年の人々にお願いしています。それはそれで結構なのですが、休日や夏休み等の期間は、高校生や大学生のボランティアを募っていくことはできないでしょうか。ボランティアといっても全くの無償ではなく、地域貢献や社会体験として単位を与える、場合によっては金銭的代償も考えればよいと思います。説明案内を行うために自らが勉強せざるを得ませんので、結果的にコアな関心層の醸成とその層を通じて関心層の年齢の拡がりが実現できればと思います。経済的効果は期待できませんが、活性化には寄与すると思います。
令和2年3月(2020年)、新宿区の総務省第二庁舎別館に「産業遺産情報センター」が開所しました。「導入展示 明治日本の産業革命遺産への誘い」、「メイン展示 産業国家への奇跡)、「資料室」の3つのゾーンで構成されていて、情報発信源としての役割を果たしていると思うのですがいかがですか。
私も見学しました。ただし、現時点では訪れる人の大半が産業遺産や日本の近代化に強い関心を持つ人々のように思えます。「産業遺産情報センター」が存在していることを広める必要があるのではないでしょうか。センターの現在の展示は、ともすれば地域レベルでの故郷自慢になりかねない明治日本の産業革命遺産に、ストーリーとしてのバックボーンを与えていると思います。今後さらに製鉄・製鋼、造船、石炭産業、この三つの産業間や構成資産相互のつながりについてもう少し強調できれば、あるいはもう少し理系的な視点からの説明があってよいと思います。 さらに言えば複製でかまわないので史料そのものの展示もほしいと感じています。
また何よりも重要なのは明治日本の産業革命遺産が世界文化遺産としてユネスコの世界遺産リストに登録され、その時の約束事を果たすためにこのセンターを設置し、これによってプロジェクトは完了したと考えるべきではなく、歴史的な遺産は常に新しい視点からの評価を必要としており、その発信源、まとめ役として今後も機能していくことが重要だと思いますし、また期待しています。また明治日本の近代化産業遺産は、その存在を知らない限り、空間上もウェブ上も訪ねることができません。最近気が付いたのですが、ユーチューブに代表されるネット上ではありとあらゆる情報がありふれていますが、結構知的なものも人気があるようです。シンガポール在住の元お笑い芸人の大学シリーズは結構人気のようですし、予備校のノリでと称して科学理論や数学をわかりやすく教えてくれるものもあります。この間は梅棹忠夫先生の「文明の生態史観」を紹介するものがあったのには驚きました。現在の産業情報センターの発信方法はあまりにもオーソドックスすぎるのかもしれない、不特定多数の間から新たな関心層を掘り起こす方法についてもいろいろ検討する必要があるのではと思います。
構成資産をどう維持していくかという問題もありますね。
明治日本の産業革命遺産の構成資産が存在する地域の自治体と所有者がそれぞれの資産を維持していくことができるのかというと、資産規模が大きい場合には財政的に厳しい事態に直面することになると思います。また、自治体によっては、世界遺産を担当している人が早いサイクルで異動になる、つまりスペシャリストが生まれづらい環境だといった問題もあります。とはいえ知恵を絞れば打開策はあるでしょう。一つには構成資産維持の方法に関して従来の文化財の修復保全のやり方に固執することの是非です。先に述べましたが、明治日本の産業革命遺産の構成資産はあくまで歴史の証言者としての価値であり、個々の構成資産自体が完結的に大きな価値を有しているわけではありませんので、証言者としての機能を損なわない限り、その維持の方法にはもっと柔軟性があってしかるべきと思います。
また国指定の文化財ではないが、世界遺産の構成資産として登録されている場合、所有者が修復等で負担する費用の税務処理について、検討の余地は残されているのではと思います。企業税務の専門家ではないので見当違いの見解かもしれませんが。 また企業が構成資産の所有者である場合、その資産が所属する事業所のコストとして計上されることになろうかと思いますが、企業内の会計処理として一工夫あってもよいのでは、という思いもあります。 いずれにせよ、所有者の費用負担の軽減と保全の動機付けとなる実務実際的な知恵が求められています。
写真提供:日本製鉄(株)九州製鉄所
(構成・文/ 丸山 あかね)
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