シリアル登録方式の保全管理に新たな道を拓いた「明治日本の産業革命遺産」-- 今後の大きな課題は「記憶と理解を引き継ぐ人材研修」
ヘリテージ保全並びに世界遺産の専門家としてグローバルに活躍する国際コンサルタント
ダンカン・マーシャル(Duncan Marshall)氏
■事前の“模擬試験”によってイコモスの査定を乗り切る
--加藤専務理事によると、世界遺産への登録を目指してICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)の査定を受ける前に、イコモスの査定官による質疑応答を想定した“模擬試験”をしていただいたのがマーシャルさんだったと伺っています。
マーシャル:事前にイコモス査定前のリハーサルというシミュレーションを行ったわけですが、これは世界遺産への登録に向けた準備として絶対に必要な作業と言えます。イコモスの調査官が来た時に、何をどのように提示し、説明するかを考えておき、そこで問題点が見つかった時には、本番までにしっかりと解決策を考えておく。想定問答を作成する。これは準備プロセスではとても重要なことです。
世界遺産登録を実現するまでの道のりは長く険しいものです。今回の「明治日本の産業革命遺産」の登録において、これを成功裏に導いたのは康子さんの多大なご努力とリーダーシップに追うところが大きかったと思います。イコモスの調査官を迎えるまでのプロセスも大変厳しいものがあり、そこには事前にテストすべき課題がたくさんありました。今回の登録では、そうした準備がとても上手くいったと思います。
--私はかねがね思っているのですが、そうしたプロセスを乗り越えたこと自体にこの「明治日本の産業革命遺産」の価値があるのではないでしょうか。
加藤:「明治日本の産業革命遺産」は文化審議会でなかなか認めてもらえませんでしたからね(笑)。ダンカンさんたち応援団のお力添えがなければ、世界遺産への登録を実現することはできませんでした。「登録は無理」と多くの専門家に猛反対されたなかで、大きな壁を突破できたのは、それに代わる仕組みを作っていくことができたからであって、それをやれなかったら、未だに登録はできなかったと思います。
マーシャル:確かに、その時に康子さんが決断していなければ、先には進みませんでしたね(笑)。今回の登録に向けてのプロセスは“小さな革命”だったと言えるのではないでしょうか。「明治日本の産業革命遺産」は幕末期のサムライたちが起こした革命の記録ですが、今回のアプローチ自体がそれと同じような革命だったと言えると思います。というのも、寺院や庭園といった従前の日本の世界遺産とは全く異なる、「稼働遺産を含む産業遺産群」を世界遺産に登録させたわけですから、これはまさに革命と言えます。
--もう1つ、大きな価値があるのは、この世界遺産は日本という当時最も遅れて発展した国の産業革命の記録であると同時に、そこからアジア各地の産業革命が広がっていったという意味で価値がある、と私は考えているのですが……。
マーシャル:日本が極めて短期間で近代産業化を成し遂げたことは、歴史的に大きな特徴と言えるでしょうね。本遺産は「昔の日本」と「モダンな日本」という2つのコントラストを鮮やかに世界の人々に知らしめた歴史遺産として貴重です。海外の人々は寺院やお城に代表される「古い日本のヘリテージ」はよく知っていますが、近代産業化の物語をヘリテージとして提示したことは特筆すべき功績でしょう。私が昨日教えてもらい、使い始めている日本語ですが、これは「スゴイ」です(笑)。
--今後の保全管理に対して、専門家としてアイデア、方法などをご教示いただけますか?
マーシャル:日本では「歴史遺産の保全」というと、10年、20年単位で行う大規模な「修復」といったアプローチに主眼が置かれているように思われます。これに対して、私からご提案するとすれば、それ以外にも、もう少し小規模な「保守・補修」を小刻みに積み重ねていくようなアプローチももっと検討されてもいいのではないかと考えています。
また、全てのヘリテージに共通する課題として、「耐震」の問題があります。これは日本の専門家も感じているジレンマなのですが、保全と耐震性をどうバランスさせるか。なるべくオリジナルなものを残すのが基本ですが、一部を耐震性の高い構造にしていくこともあり得るでしょうから、そのバランスをどう取っていくかは悩ましいところです。
例えば、三池港の閘門(こうもん)は作られた当時のものがそのまま現在も現役の港湾施設として使用されています。私は建築が専門分野なのですが、そうした者から見ても、三池港そのもの、明治の閘門、スルースゲート、水門操作室、全体としてとても価値のある貴重なヘリテージです。これをどうやって維持していくか。三池港の場合には、保有している民間企業が新しいモノと交換せずにキメ細かく補修を重ねて使い続けてきたからこそ、今も稼働遺産としての価値を失うことなく遺っているわけです。
--歴史遺産の保全管理には人材育成が重要だと思います。この点に関して、何かアドバイスはありますか?
マーシャル:今回の訪日で感じたのは、各構成資産の管理担当者が(異動などで)代わられているケースが見られたことです。この点を少し危惧しています。これまでどのような道のりで世界遺産登録が実現したのか、あるいは今後の管理をどのように行っていくかといった点に関して、これまで積み上げてきたものをきちんとした仕組みとしてどのように継承していくか。これは大変重要です。これに関しては、康子さんにもご提案したいと思うのですが、これまでの記憶と理解をずっと引き継いでいくための何らかの研修システムを導入することが必要でしょう。資産のある自治体、所有者である民間企業のいずれにおいても実践していただきたいと考えています。
--本日はお忙しいところ、有難うございました。
(インタビュー&執筆:高嶋健夫、通訳:戸谷美苗)
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