釜石の奇跡と、震災を乗り越えて~世界遺産登録という大きなチャンス~
故郷を見直し、都市と地方の交流を図る
製鉄所さんが高炉を休止して合理化に踏み切るようだと知ったのは高校時代です。父に「これからどうなるの?」と訊いたら「製鉄所がなくなることは日本が潰れることだ。だから製鉄所さんの決めたことに従っていればいいんだ」と言っていましたね。でも1989年(昭和64年)に、新日本製鉄釜石製鉄所の高炉の火が消え、釜石は衰退してしまいます。父が他界し、3人姉妹の末っ子である私が宝来館を継いだのは平成元年。年号は変わりましたが、製鉄所の火が消えたのと同じ年のことでした。姉達は宝来館を閉じようと言いましたが、私は続けたいと。そう考えたのは自分にとって思い入れのある場所だからというだけではなく、宿は人と人がつながる場所として存続させていかなければいけないというある種の使命感を覚えていたからだと思います。私が父から受け継いだのは建物ではなく使命感だったのかもしれません。
宝来館を鉄筋4階建ての四角い建物へと立て直したのは1995年(平成7年)でした。1993年7月に起きた北海道南西沖地震、1995年1月に起きた阪神・淡路大震災から宿というのは人の命を守ってナンボだという教訓を得て、津波に強い建物を目指したのです。ところが私は生まれ変わった宝来館を見て、自分は間違っていたかもしれないと思いました。もともとは2階建ての素朴な宿で風景によく馴染んでいたのに、近代化したことによって地元と一緒に生きる宿というコンセプトからかけ慣れてしまったという気がして。
四角い建物に命を吹き込みたい、人が来てくれる環境を整えなければ宿として成り立たないと考えていた折に、国の制度であるグリーンツーリズムに出会いました。故郷を見直し、都市と地方の交流を図るというコンセプトに感銘を受け、宝来館では平成9年に体験民宿を始め、翌年、私が発起人となりA&F(アグリカルチャー&フィッシャー)グリーンツーリズム実行委員会を設立したのです。
故郷の良さを再確認するという作業を通して私が最初に思ったのは釜石の魚を広くアピールすることでした。やがて三陸には山もあると思い至り、橋野高炉跡のある橋野鉄鉱山から大槌湾流域までの範囲を「どんぐりウミネコ村」と名づけ、「釜石では漁業体験や農業体験を楽しめますよ」とアピールするようになりました。
日本という国や時代を俯瞰して眺めるという発想を得て
鉄から脱却して観光地としての新たな道を開拓していかなければいけないと試行錯誤していた時代もありました。でも私はいつの時も釜石から「鉄の歴史」を外すことはできないと考えていました。これには幼い日の記憶が大きく影響しています。橋野鉄鉱山が国の史跡に指定されたのは1957年です。小学校の低学年だった私は「日本の近代製鉄の先駆けの地」と聞いてもピンと来なかったのですが、当時は皇太子様であられた現在の上皇様が橋野鉄鉱山へおみえになり、周囲の大人達の喜びようは大変なものでした。私は道路が舗装されたことに衝撃を受け、皇太子さまがおいでになるというのは凄いことなのだと認識したことを覚えています。同時に橋野鉄鉱山は故郷の誇りであるということがしっかりと心に刻まれたのです。
とはいえ、どうすれば橋野鉄鉱山に注目していただくことができるのかがわからないまま時が過ぎて行きました。ネットワークを通じて人を呼びたいという方向性がなんとなくまとまりかけていた平成19年に、宮古市の山口さん(後の山口公正副市長?)から紹介されたのがイコモスの視察のために釜石へいらしていた康子さんでした。橋野鉄鉱山のある橋野地区、青ノ木地区は学校全体で自分達のルーツを守ろうという教育を行っており、自治大臣賞をもらっていたのですが、康子さんが来られた日が偶然にも清掃日にあたり、子供達が働く姿に感動したと話しておられたのが印象的です。
世界遺産登録という構想を伺った時には、日本全体を見ておられる康子さんの視野の広さに驚きました。釜石のことしか知らず、故郷のことだけしか見ていない私達に、康子さんは日本という国や時代を俯瞰して眺めることによって橋野鉄鉱山の輝きを広く伝えることができるのだと諭してくださったのです。こうした経緯のもと、2009年に橋野鉄鉱山が明治日本の産業遺産革命の構成遺産の一つに加えられ、釜石でも世界遺産を目指そうという流れが生まれました。



Vol.58
世界遺産を守っていくために必要なのは本質的なことを見落とさない視点
一般財団法人長崎ロープウェイ・水族館理事長
前、長崎市世界遺産推進室室長
Vol.57
日本の未来のために今を生きる~明治日本の産業革命遺産の使命は「先人のスピリットを活かしていけば日本は救われる」という気づきと勇気を与えること
Vol.56
明治日本の産業遺産は日本の誇り~先人たちの歩みを知ることは日本の教育を見つめ直すことに通じる
フジサンケイグループ 代表
株式会社フジ・メディア・ホールディングス取締役相談役
株式会社フジテレビジョン 取締役相談役
Vol.55
世界遺産登録までの道のりは、山あり谷ありだった~人の縁という運に恵まれ、救われ、道を拓いて~
日本港湾空港建設協会連合会 顧問(元、一般財団法人 港湾空港総合技術センター理事長)
Vol.54
『侍が、カンパニーへ』という歴史的流れは日本の誇り~明治日本の産業遺産の中心的存在である長崎がリードして次世代へつなぐ
Vol.53
日本で初めて反射炉を作った佐賀藩、洋式海軍の拠点だった「三重津海軍所」~世界遺産登録に注いだ情熱を次世代に繋ぎたい。
前、佐野常民記念館(現、佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館)館長
Vol.52
八幡製鉄所は、今も世界最先端のものづくりを作り続ける現役製鉄所
一般財団法人産業遺産国民会議 理事
特定非営利活動法人 里山を考える会 理事
Vol.51
吉田松陰や幕末の志士たちの熱き想い、急速な産業化を通して日本を支えた優れた功績 ~ 松陰神社には明治維新に至る歴史をきちんと伝えていく使命がある
Vol.50
稼働資産「三池港」を世界遺産にする秘策とは。
Vol. 49
明治日本の産業遺産に関する保全マニュアルの重要性とは?
Vol.48
金属学の視点から紐解いて明らかになった産業史の真実~日本人の聡明さ、勤勉さ、不屈の精神を次世代へ伝えることが明治日本の産業革命遺産の使命~
Vol.47
明治日本の産業革命遺産は偉大な教材、覗けば見えてくる様々な世界
元新日本製鐵株式会社社員、世界遺産登録推進室産業プロジェクトチームメンバー
Vol.46
鹿児島から始まった鉄の歴史が日本の近代化を飛躍的に前進させた~薩摩人のバイタリティを、未来に生きる若い世代に引き継いでいきたい~
Vol.45
吉田松陰が工業教育論を説き、命がけで英国へ渡った長州ファイブを輩出~誇らしき萩スピリットを後進へとつなげるために~
Vol.44
三角西港を作った先人の知恵、技術、行動力を子供たちの代へと継承していきたい~コロナ後も続く未来を見据えて今できることに全力で取り組む~
Vol.43
官営八幡製鐵所は「1枚の古写真」から世界遺産になった!~元日鉄マンが明かす、"登録前夜"のとっておきのエピソード~
Vol.42
外に向かって発信する「新しい地元学」を確立したい ~「釜石の誇り」から「日本・世界の中の釜石の誇り」へ!~
Vol.41
観光ガイド歴18年、あふれ出る"三角西港愛"~世界遺産登録はゴールではなく、新たな出発点~
Vol.40
韮山反射炉とともに「刻」をきざむ~物産館&レストラン事業で"反射炉観光"の魅力度アップ~
株式会社蔵屋鳴沢 代表取締役社長
一般社団法人伊豆の国市観光協会会長
Vol.39
運命に導かれて軍艦島デジタルミュージアムを設立~明治日本の産業革命遺産の価値を広く深く伝えるために、自分にできることを始めて、続けて、やり切りたい~
軍艦島コンシェルジュ取締役統括マネージャー
軍艦島デジタルミュージアムプロデユーサー
Vol.38
産業遺産の主役は「人」~世界遺産登録を経て再認識した故郷の素晴らしさ~
Vol.37
すべては長崎の経済発展のために~海運業の枠を超え、長崎の文化や産業遺産の歴史を伝承~
Vol.36
釜石の奇跡と、震災を乗り越えて~世界遺産登録という大きなチャンス~
Vol.35
韮山反射炉とともに後世に伝えたい「850年の歴史資料」 ~待望の新・収蔵庫が完成、保存・修復・活用に弾み
Vol.34
不屈の開拓精神と先人のパワーで時代を切り拓いた歴史~後世へ受け継がれる希望と大きな力~
Vol.33
軍艦島は「地球と人類の未来への警告のメッセージ」~元島民ガイドが訴える想いと願い~
Vol.32
「シンクロニシティー」が生んだ世界遺産登録という奇跡~想いの強さが志ある人々の共感を呼び起こした!~
エム・アイ・コンサルティンググループ株式会社 代表取締役
Vol.31
日本の人達にパワーを~明治日本の産業革命遺産の使命~
渡辺プロダクショングループ代表・株式会社渡辺プロダクション名誉会長
Vol.30
産業遺産の歩みを"100年後を生きる人々"への希望に
Vol.29
"21世紀の薩摩ステューデント"よ、未来を創れ!~旧集成館は鹿児島観光の情報発信拠点~
Vol.28
各地域に着実に広がる「つながりあるストーリー」という意識~保全管理・インタープリテーションのあり方には課題も~
サラ・ジェーン・ブラジル(Sarah Jane Brazil)氏
Vol.27
《為せば成る為さねば成らぬ何事も》~人とつながるための勇気や行動力を~
特定非営利活動法人 九州・アジア経営塾 理事長兼塾長
株式会社SUMIDA 代表取締役
Vol.26
「日本人として、世界に対して誇りを持って発信できる世界遺産」〜内閣官房・有識者会議の流れを決したジャーナリストの視点〜
Vol.25
クラシックカーが「明治日本の産業革命遺産」を走る!~2019年、九州で「ラリーニッポン」を開催~
Vol.24
着々と進む"世界遺産周遊ルート"の整備・振興 ~推進協議会、多彩なプロモーションで世界に向けて魅力発信!~
明治日本の産業革命遺産世界遺産ルート推進協議会会長
一般財団法人産業遺産国民会議理事
(九州旅客鉄道株式会社 相談役)
Vol.23
「遺産観光」の振興に向けたルート整備にいっそうの力を~忘れ難い故郷・呉への空襲と広島原爆の記憶~
一般財団法人産業遺産国民会議 代表理事
(公益財団法人資本市場振興財団 顧問)
Vol.22
世界とつながる町~"長崎のたから"を"世界のたから"へ~
Vol.21
「ICOMOS-TICCIH共同原則」の真価問われる"世界の実験場"~日本政府が推進する新たな保全へのチャレンジ~
Vol.20
忘れ難いS・スミス氏との激論の日々 ~異文化の中で出会った"なじみ深い19世紀の産業遺産"~
Vol.19
歴史や文化を継承することは、次世代の技術革新を生み出す~"使いながら残す"に道を開いた「明治日本の産業革命遺産」~
Vol.18
シリアル登録方式の保全管理に新たな道を拓いた「明治日本の産業革命遺産」-- 今後の大きな課題は「記憶と理解を引き継ぐ人材研修」
ヘリテージ保全並びに世界遺産の専門家としてグローバルに活躍する国際コンサルタント
ダンカン・マーシャル(Duncan Marshall)氏
Vol.17
ジャイアント・カンチレバークレーンと小菅修船場跡の3Dデジタル・ドキュメンテーション
The Glasgow School of Art’s School of Simulation and Visualization、データ・アクイジション責任者
Vol.15
「スコティッシュ・テン プロジェクト」によるデジタル文書化
ヒストリック・スコットランド
スコティッシュ・テン プロジェクト・マネージャー
Vol.14
富士山と韮山反射炉、2つの世界遺産を一望できる茶畑の丘 --次の夢は「子どものためのミニ反射炉」で体験学習
Vol.13
登録までの道のりと資産の今後を見つめて
ロイヤル・カレッジ・オブ・アート副学長・評議会議長
イングランド・ウェールズにおけるカナル&リバートラスト遺産顧問
Vol.12
正確な情報発信の中で、歴史を見つめるきっかけに
Vol.11
「ものづくりの街・北九州」への愛着と誇り--"シビック・プライド"を呼び起こしてくれた世界文化遺産登録
Vol.10
世界遺産登録決定祝賀会レポート(@ドイツ・ボン)
2015年6月28日から7月8日まで、ドイツ・ボンにて第 39 回世界遺産委員会が開催され、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録が決定しました。
今回は、世界遺産登録決定祝賀会の様子をお伝えいたします。
Vol.9
使いながら保存する-「稼働遺産」の保存・活用に新たな道を拓く
阪神高速道路株式会社 取締役兼常務執行役員
(一般財団法人産業遺産国民会議 理事)
Vol.8
港湾法の体系で、世界遺産の保全を担保する
Vol.7
近代化を切り拓いた長州ファイブと試行錯誤の痕跡を残す萩の資産
Vol.6
日本の「ものづくり」「産業」の原点を伝える「明治日本の産業革命遺産」
Vol.5
日本の近代工業化を石炭産業によって支えた三池エリア
Vol.4
国家、社会のため、広い視野と使命感を持って試行錯誤しつつ挑戦し続けた「明治の産業革命」の意義
文部科学省 生涯学習政策局 生涯学習総括官
前 内閣官房 内閣参事官
Vol.3
「鉄は釜石から八幡へ」 近代製鉄発祥の地から誇り高き文化を伝える
Vol.2
強く豊かな国家を目指して 薩摩藩主島津斉彬が築いた『集成館』
一般財団法人産業遺産国民会議 理事
島津興業 相談役
Vol.1
産業国家日本の原点 『明治日本の産業革命遺産』を次世代へ
「九州・山口の近代化産業遺産群」世界遺産登録推進協議会 会長/鹿児島県知事