明治日本の産業革命遺産
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山本作兵衛作品「世界の記憶」について西日本新聞に掲載されました

2018.11.05

引用元:西日本新聞 2018年10月28日付 

「国内初登録 落胆から」

団体競技で世界を目指すも代表入りがかなわず、個人競技に切り替え夢を実現ーそんな展開だった。炭坑記録絵師、山本作兵衛(1892~1984)が描いた記録がなど697点が2011年5月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録された。福岡県田川市と、同市の県立大の共同申請による国内初の快挙は、「落胆」で始まった。「あんまり煙突が高いので さぞやお月さん煙たかろ」。田川市では当初、炭坑節でこう歌われた煙突など、国内の産業遺産の世界遺産登録を目指していた。ところが09年10月、その構成から外れた。つまり代表から漏れたのだ。ショックを隠せない地域に示されたのが世界の記憶だった。提言は加藤康子・現内閣官房参与。当時はコーディネーターとして世界遺産登録を支援していた。「盛り上がっていた田川を落胆で終わらせられない」とはいえ、ほとんど知られていない世界の記憶。関係者への説明を重ねた。可能性もゼロではなかった。海外の専門家が作兵衛の絵を高く評価していたからだ。10年3月の申請から1年2ヶ月後、届いた朗報に地域は沸き上がった。文章と、素朴なタッチの絵で構成される記録画。労働だけでなく、暮らし、子どもの遊びなど幅広く描写した作兵衛は「世界の作兵衛」になった。だが次の課題に直面した。「保存と活用」。傷みやすい酸性紙に描かれ、保存策は確立されていない。作品を収蔵する博物館などの環境も十分ではなかった。作品には「根本的ではないが、現状維持の治療」(同博物館)を施し、同博物館は温・湿度を一定に保つため大規模改修された。登録直後は「原画が見たい」と入館者が押し寄せ、11年度の入館者は約15万人で平年の約6倍に跳ね上がったが、16年度には登録前の数に戻った。保存の手だてを講じたところ、ブームが去った。国内の世界遺産が増えるなど、相対的に話題性が薄れたことも要因だろう。だが、作品の価値が変わるわけではない。明治、大正、昭和と日本を支え続けた産業である炭鉱。平成が終わろうとする今、記録画を通じて接するのはどうだろう。(鎌田浩二)